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2013年8月

2013/08/14

久しぶりに赤ちゃんがいない

こんにちは。またすっかり時間があいてしまいましたが元気にしております。

おおむね朝起きて、洗濯をして朝食とお弁当と夕食を作って会社に行って、仕事をして子どもたちを迎えに行ってご飯を食べてお風呂に入って子どもを寝かせてビールを飲んで寝てとすごしていました。

・下の子どもが3歳に
・2回繰り返した「赤ちゃん育て」が終了
・終わって改めて感じ入る「赤ちゃん」という存在の手がかりのなさとインパクト
・それに比べて「子ども」ならなんか知ってる気がする!
・核家族って思いでとしては物悲しいけど、意外に滑稽なだけかもな

ということを以下ぼやぼや書きました。

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8月10日に下の娘が3歳になった。

子育て人生はまだまだこれからではあるが、とりあえず我が家にはいわゆる「赤ちゃん」がいなくなったのかなと思う。

「子どもの成長はうれしいけどさみしい」とはよくいうけれど、私はせっかちでできるだけ早く先へ行きたいと思うたちなので清々している。

下の子が3歳になるということは、これは大きいぞと前々から思っていた。

我が家では2人いる子どもの年齢差が丸3歳で、つまり最初の赤ちゃんが3歳になった瞬間に次の赤ちゃんが生まれた。

この3年というのは、なにかちょっとした繰り返し感があったのだ。

一度終えたことを、もう一度行う3年間という意識がどこかにあった。

同じ0歳~3歳といえども上の息子と下の娘は性別だけでなく性格もずいぶん違う。私の育児スキルが格段に進歩したこともあって、単純な「繰り返し」ではない。

(ちなみに今はどうでもいいですが上も言った「育児スキル」というのは基本的には手の動かし方としてのスキルではなく考え方、おおむね納得やあきらめの技術だと思っている。私は上の子どもを産んだばかりに比べると格段に育児を諦められるようになったし、納得できるようになった。時がたてばだいたいの育児へのわだかまりはどうでもよくなるということも実感したのである。これは大進歩だった!!!)

それでもなお、私の頭にはどうも繰り返し感があったのだった。

なんだろうこの繰り返し感は。といって思うのはやはり「赤ちゃん」という生き物の特性なのではないか。

個人差はもちろんあるし個人差が実はとても大きいというのがミソでもあったりするのだが、赤ちゃんというのはある一つの過程にそって成長するのは確かである。

寝ていたのが、座って、立って、歩いて、それを追いながら、ああ、あれが終わった。これが終わったと2周目が着々と終了していく3年間だった。

私にとって赤ちゃんという存在は1人目も2人目もかなりのインパクトがあった。

私は5人きょうだいの長子で赤ちゃんという存在には慣れていたはずなのだが、おそらくこのインパクトは親としての当事者意識のインパクトだと思う。

そんな、存在するだけでびっくりする赤ちゃんが我が家からいなくなったのだ。

そして今、子どもがいて、夫がいて、私がいる。

「これは大きいぞ」と思ったのはこれだ。

子ども、夫、私。

この家族なら、私、知ってるじゃん。覚えてるじゃん。
私それ、やったことあるじゃん。30年くらい前に。

赤ちゃんとしての記憶はないが、子どもとしての記憶はある。

当然私の今の家族は、私が子どもとして所属していた実家の家族とはまったく違う。

違うけど、でも子どもが赤ちゃんというあのまるで手がかりのない全くのわからなさとは違う既視感があるのだ。

この間までは赤ちゃんを2回育てたその繰り返しであった。
今度は、もしかしたら子どもの気持ちをなぞる、私の人生との繰り返しがはじまるんじゃないか? どうなのかな?

それにつけても、さあ、家族だ。我が家は核家族で暮らしている。核家族! 特有の物悲しさと、もろさしかない核家族。さあさあ、きましたよ!

大丈夫かと肩をつかんでぐらぐら揺らしたくなるけども、まあ思い出というのはだいたいにおいて切ないもので、現実は意外にただ滑稽なだけで笑えるのだろうなと思って楽しみにしています。

いかんせん、ネクストステージ入ったぞという気分でおります。

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