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2012/11/12

天狗はいないけれど天狗のお面はかけてある

5歳の息子はとんでもない怖がりで、なにかにおびえると泣いたり夜眠れなくなったりしてしまう。

よく子どもをたしなめるのに「そんな悪さすると鬼がくるよ!」といったりすると思うのだが、息子にそれをやると、言うことを聞く聞かない以前に鬼への畏怖で1ミリも動けなくなってしまうのだ。

しかし私もうっかりしたもので、先日話題の「絵本 地獄」の話から地獄の話を広げてしまった。

息子が「地獄ってどんな感じなのかな」と聞くので(いま思い出してみれば、そう聞く息子の顔は早くも恐怖でかげっていた)「針の山があって、登らないと鬼が怒るとか、そんなのは絵で見たことあるかな」なんていってしまったのだ。あー。

その場は「ふぅん……」くらいで流していた息子だが、その後どうも元気がない。

時間も過ぎて、じゃあ寝ようかとなったときになって急に泣き出してしまった。そこでようやく私も(しまった! 地獄と鬼がいかんかったか!)と気づいたのである。

「そんな悪さすると(何か怖いもの、たとえば)鬼がくるよ!」が効果的な子の場合、子どもの成長でその「鬼」を怖がらなくなってしまって効力がなくなってお母さんはがっかりしてしまうと、そういった話はよく聞く。

我が家の場合は、うっかり「鬼」などの存在をちらつかせてしまった場合、子どもの成長で鬼の効力が消えるのを待たずしてこちらで消してやらなければならない。

そうしないと恐怖で生活が立ち行かなくなってしまうのである。

だから息子には、こういうときは冷静に想像上の生き物と現実にいる生き物について教えることにしている。

鬼は想像上の生き物であって、現実にはいない。「鬼は想像すると、考えると頭に浮かぶけど、目の前にはいないよ」「地獄も頭の中にはあるけど、いまいるのは家だよね」

ここは地獄ではない、鬼、いない。天狗、いない。河童、いない。おばけ、いない。宇宙人、とりあえずいない。

しかし、いるのだ、泥棒は。

こういう話をしていると、今度息子は泥棒や火事といった、現実に起こりうる脅威について話を向けてくる。

なるほどそうきたか。と、今度は空想と現実について教えよう。

泥棒は現実にはいるけど、いまわたしたちの目の前にはいない。「メロンを食べることを考えても、目の前にメロンはないよね」先日はそういったらなんとなくそういったら納得したようだった。

そうして息子の怖がりと折り合いをつけていたのだが、先日、下の娘と2人で和食ファミレスに食事に行ったら飾りでかけてある立派な天狗のお面を見た娘が泣きに泣いて入店を拒否した。

おまえもかー。

そして現実には存在しなくても、鬼でも天狗でも造形として目の前に現れることはままあるよねと思った。でかい天狗のお面、怖いよね。

しかし和食ファミレスに天狗のお面とはノーマークだった。

久しぶりのブログですが、元気にしています。
息子は5歳に、娘は2歳になりました。

Twitterはわりあい投稿しています(@eatmorecakes)。

デイリーポータルZも隔週火曜日の16時に記事が掲載されています。

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