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2012年5月

2012/05/30

こどものちいさなぜつぼう

子どもたちの通っている保育園のクラス懇談会が年に2回、春と冬にある。

昨日は4歳の息子のクラスの会があったのだが、最後にあった園長先生のお話に、はっとして、ごくり、となった。

だいたいこんなかんじ。

「保育園でも年中さん(4月時点で4歳、来年の3月にかけて5歳になる子のクラス)になると、子どもたちは自分とお友達と比べるようになってきます。

今までは、みんな上手にできたねで終わっていたのが、そうでなくなってきます。

リレーだったり、縄跳びだったり、パズルだったり、文字だったり、自分とお友達の間で歴然とした差が出てきて、それが自分で分かるようになります。

できる子もいれば、できない子もいます。それでいいと思うのです。

ただ、子どもはそうじゃいられなくなってくるんです。

ああ、○○ちゃんはできるのに、私はできない、って思ってしまうんです。私はもうできないんだと決めてしまうんです。

できない、と思ったことはやるのが嫌になってしまいます。

特に夏のプールがそうですね。あの子は顔を水につけられるのに、もぐれるのに、け伸びができるのに、ぼくはわたしはできない。

そう思ってしまうと、お母さん今日はおなかが痛いよう、プールはお休みにしてってなっちゃうんですよね」

園長先生は、もしお子さんがそう思ってしまったようだったら、保育園側と保護者側で協力して解決していきましょう、といってくれたのだった。

なんだか、しみじみとその子どもの諦めてしまう気持ちに覚えがあってはっとなってごくりとなったのだ。

幼稚園のころ、クリスマス会で星の絵を切り抜いて毛糸を付け、手にぶらさげながら賛美歌を歌おう、というときの私の星の絵がいわゆる「星の絵」ではなかった。

Hoshi
左:みんなの星
右:わたしの星

本当にうっすらとだけど、そのときの小さな絶望を私は覚えている。

ああ、私の星はみんなのと違ってきれいじゃないな、と思った。

単純に星が描けないことに絶望したのではない、他の人の星が自分のものより整って美しかったのに絶望したのだ。

その後、絵を描くことが嫌いにならなかったのは、そのときの先生や親のフォローがよかったのだろうか。ありがとうございます。

大人になった今になってみれば、私の星も爆発力があっていいなとは思う。しかし絵は結局今も絵は下手なままですな。

さらに思ったことがある。

子どもの「できない」は子どもではなくむしろ親が過剰に落ち込んでしまうことが多いのではないか(どうやったらできるようになるだろうと頭を悩ませたり、それこそよその子どもと比べたりするのだ)。

親は子どもの問題をすぐに自分の問題にすりかえてしまうところがある。

園長先生の目線は保育者の目線で、だから問題を完全に「子どものもの」としてとらえていた。

親が自分の問題としてただ落ち込み壁にぶつかるのではなくて、あくまでも「できない」のは子どもの問題、子どもが「できない」と頭から思ってしまう問題をなんとかしてあげることを考えていた。

「ああ、○○ちゃんよりぼくはだめだやー」と思ったあと、「でも、もうちょっとやってみようかな」とか「だめでもいいや、別のことやろ」と思えるようにしてあげられるといいのかな。

どうすりゃいいんだろ。盛り上げればいいのか。

ちかごろの子どもたち

・娘(1歳)は好きなものから食べる。息子(4歳)は好きなものをあとに食べる。
 =先に好きなものを食べ終わった娘がせっかくとってある息子の好きな食べ物を奪う

・そんな娘、最近風呂場で息子の体を洗ってやっている。洗った後、「ふー、つかれたー」と泡のついたままの手で額をぬぐい、泡が目に入って「ギャー」ってなる。

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