3歳のパンツ、64歳のパンツ
生きてる人にとってパンツというのはもうほとんど空気といっていいと思う。
絶対にそこにあるものだ。
ノーパンという言葉があるのは、パンツがそこにあるという前提で生きているからこそ「ノー」の場合に「ノー」だと断る必要があるんだろう。
あらかじめの断りがない限りはもう絶対的に人はパンツなのだ。
ただし、これは大人の世界だけの常識だった。
大人の常識が、かなりハードルの低い常識でさえ子どもに通用しないということは知っているつもりだったが、パンツですら子どもにとっては常識外のようだ。
3歳の息子は、うっかりするとパンツを脱ぐ。
ズボンと一緒にズバッと脱ぐ。
ズバッと脱いで、ぬいだまま鼻歌交じりにノーパンのままズボンを履く。
パジャマから洋服に着替えたり、トイレで一旦ズボンとパンツを脱いだときなんかに顕著にそういう行動が見られる。
そうして、ノーパンでまた鼻歌交じりに横になってテレビを見ていたりするのだ。
先日、私の実家に帰っていたときのこと。いつものように横になってテレビを眺めている息子に父(息子にとっての祖父)が言った。
「おい、おまえパンツはいてないんじゃないか?」
父は息子が着替えの後に脱いだパジャマのズボンの中にパンツも一緒に脱げいているのを見つけたらしい。
息子は「え?」といってズボンをめくって確認して「うん、はいてないや」と答えていた。
はいてないのだ。パンツを。そして、それを目視で確認しなければはいていないかどうなのか答えられないのだ。
どうだろう、このパンツに対する認識の薄さ、彼の中でのパンツの重要性の余りの低さは。
引き換え、パジャマの中にパンツが脱げていることに一目でハッと気づき、つまりうちの孫は今パンツを履いていないのではないかと気づいた父64歳のパンツに対する意識の高さもまた息子と対照的だ。
*
息子にとってパンツが生きることに付随するデフォルトではないということについては、ちょうど1年くらい前に気づいた。あっ! となった。
息子の保育園では月に一度、身体測定を実施している。子どもはそれを「大きくなったかなの日」と呼んでいるようで、息子もその日「今日は大きくなったかなの日だったんだよー」と教えてくれた。
身体測定といえば、服を脱ぐ。そこで息子のこの発言だ。
「大きくなったかなを調べるときはね、服を脱ぐんだよ。でもね、パンツは脱いじゃダメなんだよ」
そうなのだ。「パンツは脱いじゃダメですよ」とわざわざ言われなければパンツを脱ぐ人々なのだ子どもというのは。
*
もう一ヶ月も前の話になってしまったが、すごいことだったので書いておこう。
3月の連休に名古屋に行った。義祖母の家に泊まったのだが、そこで「ご近所にもらった」といって出てきたあんころ餅のあんこのレベルの高さがちょっと半端じゃないくらい高かった。
あんこは「甘い」「そんなに甘くない」「しょっぱい」「品がある」「田舎っぽい」などいろいろと物語る尺度がある食べ物だが、そのもろもろの尺度を全部差し置いてただただ「おいしい」といえるあんこだったのですよ!
やっぱり名古屋はあんこ慣れしてるんだなあ。できれば夏も名古屋に行こう。
| 固定リンク

