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2010年6月

2010/06/23

ミッキーとありのままの世界

「好きな食べもの」を問われることは、なさそうで結構ある。常々なにか決定的な答えを用意しておこうと思いながらそのままになってしまっているが、今回はまた唐突に意外な相手に聞かれてひるんだ。

というのも、今回は聞き手が病院なのだ。病院に「好きな食べものは何ですか」と聞かれてさあどうしよう。

2子目のお産が近づき、バースプランという、どんなお産をしたいかを妊婦本人に病院が確認しますというアンケートであった。

何を目的に聞いているのか、産後最初の食事に好物を出してくれるのか。まだそこを確かめていないのだが、何しろ迷う。

私は食べられないものがない。控えているものや進んでは食べないものはあるが(食べるとなぜか鼻の頭がかゆくなることがあるので揚げ物はあまり食べない。大好きだけど)、なんでも食べられるは食べられる。で、だいたいの食べものが好きだ。何しろ食べることが好きなのだから仕方がない。

こんなに真顔で好きな食べものを問われることもなく、ちょっとじっと考えた。「食べもの」というと、料理名で答えるべきか、それとも食材か。甘いものは入るのか。考えることは結構あった。「徹子の部屋」を観ながらではあるものの軽く小一時間が経過していた。

「トマト、豆、スイカ」と書いた。

これで合っているのかどうか不安ではあるが、自分なりにベストを尽くした結果だとは思う。

子どもとのちかごろ

夫が子どもの頃使っていたウルトラマンや仮面ライダーのフィギュアでよく遊んでいる。以前もこのブログに彼らを使ってままごとのようなことをしていることは書いたか。

このところ、空を飛ばしたり両者を戦わせたりそれっぽい遊びもするようになってきたのだが、先日はベルトの貸し借りをやっていた。

仮面ライダー「あれ、きみベルトないんだね」
ウルトラマン「うん、そうなの」
仮面ライダー「じゃあ、かしてあげるね」

と言う具合で一人でぶつぶつやってる。そのようすを遠くでこっそり眺めながら、ウルトラマンにベルトがないことに私も初めて気づいた。

いよいよ私も子どもをつれてディズニーランドに行ったよ。

「子どもの喜ぶ場所に行く」「子どもの喜ぶことをする」という、親がなぜ子どもマターの行動をするのかについては頭では分かりつつもどこか懐疑的だった。子どもが喜ぶということがいかに大人を興奮させるか、自分の子どもが徐々に人格を持つようになっていよいよ身を持って分かりつつある。

子どもが喜ぶということの親としての喜びのプリミティブな感じは、体験してみたら結構すごかったのだ。こう、ぶわっと出る。なんかが。

ディズニーランドで子どもがはしゃいで親ががんがんビデオ回してニコニコして、そういうふうになっている既にある世の中が、保障された本能的な幸せの中にあるのだということがぎゅんぎゅん体感的に分かってきた。

こういうことがあると、ありのままの世界を受け入れていいのだと素直に思う。

ディズニーランドまめ知識

・ミッキーのオーラがすごいことになっていた。パレードでは存在感が他のキャラクターの比ではない。夫が「天皇だ」とつぶやいた
・パレードの曲がばきばきのダンスミュージック。低音の4つ打ちに空間が支配されて、こちらのテンションが(ミッキーに?!)コントロールされているのが如実に分かる。ヒー
・子どもは喜んでいたけど暗転がとにかく恐ろしいらしく、乳児でも泣かないようなアトラクションで泣いていた。すごいなあ、泣き虫
・私も子どものころは「なれない場所」「ハレの場所」は苦手だったのを思い出す。いつも家でじっとしていたかった

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2010/06/15

共感されないことの不慣れ

台湾土産にいただいた小さな立体のマグネットがなんかすごい。立体部分というのが、白菜なのだ。白菜の下にもやもやした茶色い台座がついている。なんなんだろうこれはと思って調べたら「翠玉白菜」という世界的に有名な台湾の彫刻なのだった。そうなのかー。

いやもう、ものすごい有名なものだろうと思うと上の文は恥ずかしいことこの上ないのだけど、この翠玉白菜に対して子どものような無垢な心の私から見ると、非常に新鮮に「なんだこれ」なのを分かって欲しい。だって、白菜だよ?! 冬にお鍋に入れるやつだよね?

なんでも中国ではこの結球白菜というのが清純潔白のシンボル的存在なんだそうだ。といわれてもまだ残る「白菜かあ」という戸惑い! しかもそれがお土産としてマグネットになっていて、我が家の冷蔵庫に張り付いているのだからまた。

本当にいいものをいただきました。私はお土産選びのセンスが本当にないので見習いたいです。

洗濯物をたたみながらテレビを見ていたら法心理学の先生がなぜ冤罪のひとが自白してしまうのかについて話していた。

おもしろくて、何の番組だったんだろうと思って探したらあれが有名な「爆笑問題のニッポンの教養」(しかしすごいタイトル)だったのか。

確かになんで冤罪のひとが自白してしまうのだろうとは素人としては思うところで、しかし理由を聞くと「そりゃあ自白しちゃうわ」というものだった。

人間は「共感されない」という状況にあまりにも慣れていない、のだそうだ。

警察側は「こいつが犯人だ」という前提で逮捕している。だから、「お前が犯人だよね?」と聞く。「いや、違います。理由は~~です」と答えても「いや、おまえが犯人だ」という。「違う」という自分の真実が長時間相手に共感されないのだ。

そんなこと、普通人生であまりない。確かにそうだ。

だいたい人は共感を得たくて喋る。「私もそう思う」というストライクの同意は無理かもしれないけど、「気持ちは分かる」というところには落としたいと思って喋ることがほとんどなんだろう。

そもそも本能意外の行動の由来は共感にあるんじゃないかと思う。そこを否定され続けたら、自分が思っている真実とは別のこと(つまり嘘)を言ってでも共感を得ようとするのはすごく分かりやすかった。

とくに私なんか、「あ、この話わかってもらえないかな」と思うとすぐ話すのをやめたり別の表現に変えたりしてしまいがちなので、ぜったい自白しちゃうわと思った。

共感を得たいという気持ちから生まれる真実こそが自分のなかの真実であって、それは実際起きたこと「事実」とは違う。そうして、実は「事実」の方は現実社会でそれほど重要視されていない(人間がそういうふうにできていない)。

けれど、裁判はその普段意外に重要とされない「事実」を扱わねばならない。だから難しいということだった。そうかー。

また夫の話になってしまうけど、夫は私とは共感の共有の方法が違うなと思うことがある。というのも「勘違い」に非常に頓着しないのだ。

たとえば、夫の話を私が勘違いして解釈する。

夫「あの雲、おいしそうだね」
私「あの蜘蛛?! え、なんでなんで??」
夫「……」
私「あ、でも食べる地域とかあるらしいよね、蜘蛛」
夫「そうなんだ」
私「食べたらおいしいのかもね」

といった具合に、夫は私の勘違いをあまり積極的に正さないのだ(例は極端なものなので、ここまでアホな勘違いだったらさすがに正すかもしれないけど)。5分くらいして、私のほうから気づくことがあって、

私「あれ、さっきの くも って、蜘蛛じゃなくて、あの雲?」
夫「そう」

と、なることが多い。これが逆だったら私なんかまさに秒殺で「ちがうちがう、蜘蛛じゃなくて、雲!」と一瞬ででかい声でいなすはずで、けれど、夫のやり方でもまあ共感は発生しているので、なんというか全体的に齟齬はあってもまとまるところにまとまるようになっているというか、共感をめぐってのコミュニケーションの違いにもいろいろあるよなと思う。

こどもとのちかごろ

非常にビビリなたちのようで、自転車の後ろに乗せてスピード上げて坂道を下ったりすると「早すぎるよ! あぶないよ!」と言ってこわがる。夫が自転車で併走しながら手放し運転しようものなら「あぶない! あぶない!」と大騒ぎだ。

子どもというと危険なことや むちゃくちゃなチャレンジングが大好きなイメージだったが、まるきりそういうところがないのだった。

そういえば私も子どもの頃そうだったなと思う。無茶をやるのが苦手でそういう友達についていくのが内心おそろしかった。人見知りで、初めての場所や初めての人にたいしてどうかと思うくらい覇気がなかったりするのも私とそっくりなんだよな。

生まれ持っての性分というものを、子どもを通じて体験しております。

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2010/06/05

夫と酒と私と骨盤

夫は大変な酒飲みで酒で酔っ払うたちだが、ここ2年でだいぶ飲まなくなった。いや、飲むのだけど、わたしが復職して子持ちかつ共働きになったことや仕事が変わったことで飲む機会が減ったようだ。

以前のように朝起きたらその辺に転がっていることがなくなり、ちゃんと寝巻きを着てふとんで寝ている。そうだ、まえはよくその辺で寝てたなあ。

・冬、コートをきたまま台所で寝ていた。ポッケには食べかけのメロンパンが
・廊下で寝ていた。台所には切りかけのフランスパンがあり、切ったフランスパンが廊下に点々と
・マクドナルドのセットが5セット冷蔵庫に入ってた
・風呂でおぼれそうになってた
・全身ずぶぬれで帰ってきて、服を脱がせたらびしょぬれのまま全裸で転がっていった

書き出したら意外に少なかったか。

とにかくお酒が好きなんだな。私もお酒じゃなくて好きなのはビールだが、大好きなのでよく分かる。

それだけに妊娠中や授乳中で自分が飲めないときに酔っ払われるとうらやましいのだった!

子どもがまだ生まれてすぐのころ、朝まで飲んで帰ってきて寝ているところへ昼から夫の会社の人が来てまた自宅で飲み、夜になって駅まで送って行くと言ったまま帰ってこず、心配して子どもを抱いて駅に迎えに行くも姿が見当たらず、そのうち帰ってきたがどうやらどこかで飲んできたようだった、ということもあった。あれは羨ましかった。何か、まざまざと自由度の差を見せつけられたようだった(あとで、自由とかそういうことじゃないということは理解したけど)。そのとき夫はコンビニで白玉団子のお土産を買ってきてくれたのだが、白玉団子かあ、と思った。

今日も朝まで飲んで帰ってきたようなのだが、最近はちゃんと布団に寝る代わりに飲んだ日は出す咳が尋常でない音なのが怖い。グゲェフベゴゥボグゥベボ、みたいな感じで、なんか出てきそうなのだ。

さっきもまたこわい咳をしていたので、逃げてきた次第です。

夫と酒という個人的な話のあとで恐縮ですが、次は私の体の骨盤の話です。

1人目の子どもを妊娠したときに確か5,6ヶ月目くらいのころか、歩けないほどお尻が痛くなった。

いや、もう、どうにもならずに調べると、どうも骨盤がゆるんでゆがんでるらしいぞという情報にたどりつき、そういった人が少なからずいるということも知りった(けれど、私の周囲にはあんまりいないんだよなあ)。このときは「トコちゃんベルト」という骨盤を締める腰ベルトに助けられてなんとかなった。

なんとかなったので、ああ、よかったと思っていたのだが、どうも私の骨盤はこれでめでたしめでたし、ということにはなってなかったらしい。

2人目の妊娠し、先日、助産師さんに骨盤の話を聞くという催しに参加したらまた色々と知ることがあったのだ。

私は出産時、破水してから3日間陣痛が付かずに強い陣痛促進剤を使って出産したのだが、これが、なんと赤ちゃんの頭がゆがんだ骨盤にひっかかって降りてこなかったからでは、とその助産師さんはいうのだよ。それも骨盤だったのかい! という思いだ。

2人目がお腹にいる状況として、骨盤をよくすれば前回より楽なお産ができるのかと思うとこれはもう必死だ。

ただ、その助産師さんは最近は分娩時間がやたらに短い人が増えているといい、え、それは良いことじゃないかと思ったのだが、これも骨盤のゆるみで「産まれているというより落ちてる」状況のように見えると表現していた。

さらに気になるのは、ゆがんだりゆるんだ骨盤のまま妊娠生活を送ると生まれてくる子どもがいわゆる「よく泣く子」になることが多いというのですよ。まゆつばっぽい話ではあるかもしれないけれど、私はこれもかなり信じてしまっております。というのも、うちの1人目は本当によく泣く子だったからなあ。

そういったわけで、いまや私は骨盤に夢中です。自作の骨盤の歌が頭に流れるくらい。

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