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2010年3月

2010/03/28

寿司が道に

外出から戻ると、夫がやけにうれしそうだ。息子に言う。

「なあ、いま外になに落ちたか、お母さんに教えてあげなよ」

息子の方はそれほど興味がないようなのだが、夫のテンションは高い。

「……桃(息子はバナナと柿と桃に対して異様な執着がある)」
「桃?! 違うよー! 寿司だよ! 寿司のパックが落ちてたんだよーー!」

道に助六寿司のパックが落ちているのを見たそうだ。寿司、しかも助六という中途半端さといい、見つけたときの「おっ? 寿司?! お寿司?」みたいな予想されるリアクションの確かさといい、エピソードとして完璧だろう。

確かにすげえ! 私も興奮した。これで平常心でいられるなんて、息子は子どもだ!
しかしなぜ助六寿司が。自転車の後部かごから落ちたのかな。あそこ、もの落ちやすそうだもんなー。

花見だ。いや、花見だというより、暖かくなってこれからは毎週ピクニックだ。週末、寒い自宅でただ震えるだけの時間がなくなるだけで嬉しい。

大人になって、春が来るのが本当にうれしくなった。体が寒さに弱くなったということか、いや、子どものうちは大人が私が暖めなくても部屋を暖めてくれたからか。

近頃のもろもろ

・帝国ホテルの焼き菓子をおいしいからと義母にもらった「PIVOT」と書いてあるが、フィナンシェが棒みたいになったもの。義母が「ものすごく美味しかったから」と言っていたので楽しみにしていたが、これが確かにやたらに美味しい。生フィナンシェ、という感じ。やっぱ洋菓子は生にするとおいしいのだろうかしら。帝国ホテルも「生フィナンシェ」と名前を変えて東京駅で売ったらいい。なんなら私が代わりに売りましょうか。

・伊藤たかみ「ミカ!」をいまさら読んだが評判どおり良かったなあ。子どもの感情にちゃんと寄りそってるこんな本に、子どもの頃出合いたかった。

・こういうことも、これからはツイッターに書いたほうが面倒じゃなくていいのかなあ。ブログが流行ってから7年後くらいにようやく重い腰をあげてホームページからブログに以降した当サイトなので、今回まあまあブログでいいかしらねえ。とスーパーで主婦がやるといわれている(そして結構みんな本当にやってる、私もやってる)あのポーズ。

・5時起き生活が板について少し経ったが、何が変わったかというと、会社の出社時間が早くなったというだけであった。せっかちなので支度ができると次のアクション(会社に行く)を実行したくなってしまうのだ。子どもが起きる前に家を出ることも多くなった。

・いくらせっかちだからって、それは寂しい。ということで、急ぎの仕事がないときは子ども待つことにした。何もすることがないので、ニュースをみながら(好きなのは「NHKおはようにっぽん」の「まちかど情報室」)甘いものを食べすぎながら子どもの起きるのを待っている。さあ、次は甘いものを食べ過ぎないにはどうすればいいかを検討せねば。我慢すればいいのか。

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2010/03/20

かっこいい母とでかいサングラス

「あーぶくたった、煮え立った」という歌ががあって、子どもの頃その「煮え立ったあぶく」を想像して味を感じていたことをふと思い出した。みずっぽくてすこし甘い味だったな。

「煮えたかどうだか食べてみよう」と続くので、きっと味を感じていた方は多いのではないでしょうか。むしゃむしゃむしゃ。

そうだ、ツイッターにも書いたのだが、結構これは本当に発見ではと思ったことがある。

「かわいい」ではなく「かっこいい」方のおしゃれな女性が母になったとき、高確率ででかいサングラスをかけるのはなぜだろうと思っていた。

すらっとしていて、きゅっと髪をまとめ、細いズボンを履いて、新生児なら小脇にさっそうとスリングで、少し大きくなった子どもちゃんなら3輪のバギーで連れているような超かっこいいお母さんだ。特に単体で行動している人にはでかいサングラスをかけている人が多い。

かっこいいのだが、なぜ一様にでかいサングラスなのだろうと思っていた。思いつつ、自分のなかにも「かっこいいお母さん」=「でかいサングラス」という公式が確かにどこかで成り立っているのを感じていた。

でかいサングラスというのはそこそこ日本でも流行したりはしていると思うのだが、「かっこいい母」という層意外には、なかなかきちっと型として広まっていないと思うのだ。それが、「かっこいい母」というジャンルにおいては限りなくマストになってる。

あっと思ったのだ。あれは「かっこいい母親像」のお手本が今のところハリウッド女優のプライベートショットくらいだからじゃないか。

お手本が国内にないということで、一足飛びに海外セレブへ行った結果があのでかいサングラスなんじゃないか! ばーん!

※私も常々真似してみたいなあと思っていたけれど、スタイルが良くないといよいよ無理だということがこれではっきりしました。残念だす。

子どもとの近頃

もうどうしようもなく食べることが好きで、そういった絵空事を話して聞かせてくれる。今日は保育園で何して遊んだの? と聞いた。

「みんなでメロンパン食べたの。レストランで食べたの。ピザも食べたの。先生に、一番おおきいのくださいって頼んだの。それで、それで、食べたあと、なめたの」

だそうだ。レストラン行かないだろう保育園で。あとピザはちょっと給食には出ない。確かに「一番おおきいのください」と言うと配膳のとき考慮してくれるということはあるらしいけど。

あと「なめた」って何を?

「小皿!」

だそうです。夢物語の中でも小皿をなめているのかあ。気持ちは分かるよ。

それから、バナナが好きすぎて1本食べるスピードがはんぱない。我が家では恐ろしくて常備するどころか食べさせるのはごくまれなことになっている。

そのため、バナナへの憧れが異常なことになってしまったようなのだ。おままごとなどすると、常に食卓にならぶのが「バナナカレー」である。

「丸いバナナが入ったカレーなの。甘くておいしいの」

確かにそういうメニューもあるよなあと思って聞いている。

「みんなで食べて、食べおわったら歌うの」

だそうだ。なんだかわからないが、バナナという至上の喜びの後には全員で歌うことになっているらしいのだった。

その歌というのがまた謎で

「パーンツ! パーンツ!」

というパンツに対して送る声援のような歌(?)なのだった。もう何がなにやらなのだよ。ちなみに、2歳9ヶ月の子どもの発音なので正しくは「パーンチュ! パーンチュ!」であって、かわいいやら何がなにやらやら。

彼もそろそろ煮え立つあぶくに味を感じるころだろうか。間違いなくバナナ味だろうな。最近は「バナナメロンアイス」というものにも思いを馳せているようだから(しかしなんだろうそのアイス)、そういったミックス味かもしれない。

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2010/03/13

2人目妊娠が楽しい

3/4に終わってしまったのでもう証拠資料が出ないのだけど、東急東横店で行われていた「福島物産展」は、広告の写真がラーメンと餃子だった。

物産がラーメンと餃子だ。

おいしそうな写真だし、確かに福島には喜多方ラーメンがあって、円盤餃子も着々と有名になっているわけだが、物産展のツートップにラーメン餃子というのはどうなんだい。なんだかかわいくて私は笑ったけど、福島のひと、大丈夫でしょうか。

ただ、私の地元の埼玉県日高市はメインの名産が うど だということを思ったとき、福島が単純に前向きに正解肢をとったのだなあということが体感的に分かったのだった。

だって、物産展の広告写真がでかでかと うど って! だめだ! 日高市も早くラーメンと餃子みたいな何かをはじめないとだめだ! なんだろう、カレーか。

妊娠しまして、いま18週(5ヶ月)に入りました。
2人目の子どもです。おかげさまで順調に育ってくれているようで、私はいつもどおり元気にしております。

前回の妊娠時は何かあったら書くのもあれだしなと思って確か産休に入るまでどこにも妊娠していることは書かなかったのだけど、まあ何かあったら正直に書けばいいかという思いに今回はなっております。

去年初期流産したので、それでいろいろあることの致し方なさについて肝が据わったところがあるのかもしれないです。

妊娠トピック

・この冬は明らかにいつも以上に寒さがこたえた。妊娠、無関係じゃないと思う。とにかく冷えた

・前回ほとんどなかったつわりが、年末年始2週間くらいつらかった。妊娠は回を重ねるごとにつわりがつらくなるパターンが多いらしい噂を初めて聞いた

・妊娠初期は夜も早々に眠かった

・そのせいで21時に寝る習慣がついてしまった。で、5時に起きてるこの頃

・21時に寝れば夜おやつを食べないので、太らずにすむのだ! 発明!

・でも、不思議と妊娠中は食生活が変わらなくても着々と体重は増えるのだった。もう、いい

・前回は地元埼玉でお産したが、今回は東京で。産院がどこも高くて驚く

・私はわりに前回も妊娠中にマウンテンバイクに乗ったりちょっとならお酒を飲んだり気の抜けたことをしていたので、2人目も絶賛適当に過ごしてます

そして、一番しみじみ実感しているのは精神面の楽さだろうか。

私は以前本当に子どもに興味がなく、嫌いというわけではないのだが子どもの挙動にまるで関心が持てなかった。

小さな子どものちょっとしたしぐさに周囲が「わあっ」となったりするときも、まるで琴線に触れない。自分でも心配になるくらいだった。

それが、1人目を産んでようやくそこいらの感覚がさすがに目覚めたのだった。ああ、よかった。

自分の子だけじゃなく、友人の子だけじゃなく、電車や道でみかける よその子どももかわいい。公共の場で走り回ってれば、よその子だって愛しいので優しくたしなめられるのだ。こりゃ人生にまさかという展開だ。親になればそんなものだと噂は聞いていたが、本当だった。

なので「ああ、子どもが産まれるなあ、ちゃんとかわいがれるかなあ」と不安が大きかった1人目に比べると、2人目はかわいい姿を思って単純に楽しみでわくわくしている。

さらに1人目は周囲に「これから大変になるね」「がんばってね」「つらいだろうけど」「ぜんぜん寝られないらしいよ」「熱ばっか出すらしいしね」という、将来をねぎらうスタンスのコメントをもらうことが結構あって、これがこたえた(もちろん、ただただ喜んでお祝いしてくれる人の方が人数としては圧倒的だけどね、ほら、やっぱり印象に残るのってね!)。

それが今回は生きる環境が変わったからか(夜あまり飲みに行かない、子ども好きの人たちとつきあうようになった)わざわざネガティブなことを教えてくれるような人が周囲に少ない。これは本当に助かる。

ネガティブな話を聞く機会が少ないだけじゃなく、今なら苦労話をどれだけ聞いても、大変さの後ろに大変に大きな楽しさがあるのをあらかじめ知っているから大丈夫なのだ。

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2010/03/06

子育て方法がいっぱいある謎

前回当サイトでキム・ヨナの腕を絶賛して、今後ああいう腕の使いが増えるのをわくわくしたが、あの腕誰か真似できるかなあ。キム・ヨナはたぶん通常の人よりも、やや足と腕の長さのバランスが悪い。腕が長い。

あの腕の長さがないとあの動きはできないだろうか。ちょっとバランスの悪いからだがたくみに動くということの美しさに、人(というか私)は弱いのかな。パリコレのモデルに見入っちゃうのなんか、まさにそうで。でもキム・ヨナのあの腕は体そのものじゃなくて動きだけで結構見るものがあると思うんだよな。

今回で、冬季オリンピックはなんだか「いいもの」だなあという気がした。全体的に、圧倒! 感動! ではなく、転倒! に本質がある。テレビとかだと一生懸命 感動! に持っていこうとして、私なんかは涙もろいのでだいぶひっぱられてないちゃったりするんだけど、さすがにそこにあるのが 感動! ではなくて、転倒! なのは分かる。

そもそもスポーツを伝えるのにわざわざ感動さす演出をほどこすもんじゃないといいうのは当然のことなんだけど、そのフィルタを1枚剥がしたら、そこにあるのは転倒! という冬季オリンピック。

夏季オリンピックの本質はなんだろう 暑そう! かな。高校野球は 泥! かな。

スポーツの演出とえいば「熱闘甲子園」、超おもしろいけど、あれ、やっちゃいけないことやってる感じすごいよね。

品田知美さんという社会学の学者さんがいて、2年くらいまえに縁あって乳幼児の子育てついての小さな講演会を聞かせてもらったことがある。

子育てって、本当に情報があふれているのだ。もうどうしようもないくらい。あの人がああせよと言えば、この人はそれじゃ駄目だといい、あの医者はこれでいいといえば、あっちの医者はそんなんじゃダメだという。親はああしろと言うが、雑誌にはもうそのやりかたは古いと書いてある。

妊娠→お産→乳幼児の子育てと体験してきたが、ずーっとそんな調子で、たぶん今後子どもが育っていく過程でも常々そんな状態だろう。

私なんかはもう飽きて、あまり情報を取り入れなくなってきたよ。

品田先生はそんな子育ての情報の内容そのものはもちろんだが、親を情報がどう取り巻いているか、親が情報にどう翻弄されているかなどを研究されている。講演もすごくおもしろかった。

先生の新しい本が共著で出たのでざっくり読んでみた(学術書なので、しっかり読んだら寝てしまったので、ざっくしりか読めんかったのよ)。

そしたら、このいわゆる「情報の氾濫」の所以についてすごく納得いくことがいきなり冒頭に書かれていて、あー、と思った。

戦後日本では、乳児死亡率は出生1000に対して1950年には60であったものが、1975年に10、2000年に3となるなど急激な変化をとげた。
つまり、祖父母や自分の父母から子育てについての情報を借りれば良いといわれても、時代の変化が大きすぎて一世代前の知恵があまり役立たないという状況がつづいている。親の悩みどころが子どもに無事に1歳の誕生日を迎えさせることだった時代は消え去り、どうよりよく育てるのかをめぐって親たちは日々情報を集めて実践をしている。
(「揺らぐ子育て基盤」17ページより引用)

子育てって、その状況が戦前、戦後、現代とぐんぐん変貌しているのだ。その瞬間瞬間にさまざまな子育て方法がよしとされ、新しい時代が来てそれじゃダメという情報が現れるが、以前よしとされた情報にも利点はあったりして上書きされないまま分岐して残る。

これは先生が言われたことじゃなくて私の実感だが、結局もうただじっと子どもを見て自分の納得行く方法を取るという超普通のことになってくるのかな。それがいい方法か間違えた方法なのかは、誰も分からない。でも、子どもを見てそれで納得いった方法であれば、少なくともストレスはたまらないだろう。

ストレスを回避すればとりあえずOKってやり方は、こういうときすごく役に立ちますな。

これ、超おもしろい
これ、引用したやつ

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