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2010年2月

2010/02/27

キム・ヨナの腕

オリンピック、フィギュアスケートの女子シングルを昨日の夜テレビで見ていた。子どもが台所の物入れの扉にプリンのシールを貼ったから「おかあさん、おいでくださーい」と招待するので台所と居間を行ったり来たりしながら見たわけだけど、キム・ヨナがやっぱりすごい。

今シーズンくらいでようやく気づいたのだけど、キム・ヨナのみどころはただただ腕だ。腕というか、背中から腕、指先がすごい。鎖骨が空気を包む。

表現力とかじゃないのだ。なにしろ腕なのだ。

クラシックバレエでもあんな腕の動き見たことない気がする。バレエだとフィギュアスケートよりもほんのちょっと滞空時間が求められるので腕にもほんのちょっとプラスで筋肉を付けなくちゃいけないんじゃないか。腕の細さは同じでも、筋肉量が違って動きにも違いが出てくるんじゃないか(てきとう)。

フィギュアスケートというのは、氷の上を滑りながら飛んだり踊ったりするスポーツなわけで、これって奇行だよなと思っていた。

でも、そうか、地面で行われる舞踊よりも滑る速度に乗ることで主に上半身のしなやかな身体の動きを見せるというのがフィギュアスケートの本来の目的なのか。だとしたら、フィギュアスケートの存在理由にガッテンガッテン。

たぶん、これから先他のフィギュアスケーターたちにもキム・ヨナの背中から腕にかけての動きが広まるんだろうと思う。みんなが高速で移動しながら腕で空気を身体に取り入れたり、放ったりする。はっ! それはすごい楽しみ。

子どもとの近頃

夜、自転車で二人乗りして保育園から家に向かって走っていた。生暖かい風が強い。びゅーっ、びゅーっと吹いて「すごい風だねー」と私がいったら子ども、「風が強くて、まぶしー!」と叫んだ。

すごい気持ち分かる!

夫との近頃

どうしても、陰毛というものは落ちるので、どこでも気づくと落ちてる。「あれはどういうわけだろう」という話になった。

「まあ、こう、気づかないうちに、ソソソソソーって落ちるんだろうなあ」

といって、夫が「ソソソソー」のセリフにあわせて自分の足の付け根(陰毛部)から膝にかけて、こう、手を泳がすように動かしたのだが、あれが妙にたくみでおかしかった。

人の動きでいうと、キム・ヨナの腕と張るくらいちょっと見所があった。

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2010/02/21

フィンランドの冬の日照時間がすごい

“ツイッター”の読み方が、私の周囲でもいよいよ語尾下げから語尾上げに変わっていきた(お姉さんのいる“クラブ”から、踊る“クラブ”へ)。

その変化に立会うのは10年くらい前、“グーグル”の読みが語尾上げに変わったとき以来かもしれない。

ただ、“グーグル”のときはあまり自覚がないままに自分も語尾上げ派に変わっていたのが、今回の“ツイッター”はかなり経過を(自分の周囲の発音だけではあるけど)しっかりと見守っていたと思う。

それだけに今は、さあどうするかという思いだ。行くか。行かざるか。じゃあそろそろ私も上げていこう(語尾を)という軽い気持ちが正直なところだが、ほんの少し、いや、ここはもう少し下げで(語尾を)行くのもまたしみじみするのではないかとも思う。

前回の「まばたきをする体」に引き続き、縁あってまたフィンランド情報を仕入れましたので、トピックス備忘です。なお、フィンランドかぶれはこれで最後ですから大丈夫ですから!

・フィンランド人の最高のおもてなしは、大好きな自分の家にお呼びして、家の内部を紹介し、そして一緒に家のサウナに入ること(やっぱサウナ!)

・フィンランド人はローソク好き。ローソクの消費量世界一位。

・フィンランドでは、妊娠すると国から母親としてのスターターキットのようなものが配られる。内容は赤ちゃんのベビーカー用シート、コート、生後すぐのある程度の服一式、絵本、おもちゃ、産褥グッズいろいろ。これは年によって多少デザインは変わるものの、年内であればほとんど同じもの。

・だから、公園なんか行くと赤ちゃんが同じ服を着てることが結構多い。

※赤ちゃんパック、日本じゃ絶対受けいれられないだろうシステムだよなあと強く感じた。みんな、好きな服着せたいと思う。

・フィンランドの人は、服装にあまり頓着しないらしい。

・フィンランド人は個性を非常に重んじる。

※おんなじ服を子どもに着せるのは“個性”を剥奪することではないのだ。お話を聞いていると、服装と個性のつながりなんて夢にも思ってないっぽかった。そりゃ、個性があふれるのは外見じゃなくて内面だろうとは思うけど、こんなにもいさぎよく外見を個性から切り捨てられるのだ(切り捨てるという前に、そういう考え自体が、ない)。

・といっても、これは赤ん坊の服のことで、個性という側面から子ども(小中学生)のピアスやら刺青は放任。

・日本より数は少ないと思うが(話を聞いた方の感覚)、引きこもりの不登校はいる。

・「行ってきまーす」って家を出て、学校に行ってない子どもも多い(だから、出席をチェックしてネットで親が見られる仕組みが最近できた)。

・モンスターペアレンツが問題になってる。以前はあった「体罰」は、今やったらえらいことになる。

・小学生の読書時間は減少傾向、字の下手な子が増えている。

※なんかこういう話聞くとえらいホッとすんのね

・仕組み的にか、女の子に勉強ができる人が多い(小学校でもそう、大学の入試結果を見てもそう)。

※勉強のやり方に性別差があるってことか。女子が強くなる「仕組み」ってすごい。

・高い税金払ってるから、貯金はない人が多い。

あと全体を通して感じたのは、フィンランド人は絶対数が少ないという事実。

これは国の教育方針でもあるらしいんだけど「国民一人ひとりが大事で一人として欠けてはならない」という一体感が国民的根底にあるっぽい。新社会民主主義というのがある程度成功できるのも、こういうグルーブがあるからなんだろう。

あ、あともう一個あった。

・冬の日照時間が1日で3時間という年もある。日本からフィンランドに行って、この環境が体に辛くて驚いた。とにかく1日眠い。16時頃になると、早くも1日の疲れがどっと出る。

こんな「人生いろいろ」みたいな地球があるんだ。正直、異文化をなめてたと思う。ごめん。

ちかごろの家族

私が買ってきた台所の排水溝の水切りネットの水切れが良くない。

私は工夫してつかえる範囲だと不自由を感じていなかったのだが、家の洗い物の一切を担当している夫は洗い物をするたびにイライラさせられるようで、何かにつけてこのネットについてブツブツと怒っていた。

で、私のほうはそんな怒る夫をどうも女々しいように感じ、じゃあ自分で買い換えればいいものをもう毎日文句をいうばかりなので腹に据えかね、そうそう夫婦喧嘩をしないわれわれがいよいよ水きりネットでちょっとした衝突になった。勢いで、その日別件でいやなこことがあった私はあろうことか泣いてしまったのだった(水きりネットで)。

「えーん」

と部屋の隅で泣いたら狭い部屋の対角線上にいた夫と子どもがいっせいに私に向かって走ってきて、いっせいに心配そうにして、なぐさめはじめた。

うちは狭い家だ狭い家だと思っていたが、2人は少しでも早く私のところに来ようとして、走ったのだった。泣いて本当にごめん、水きりネットで。

近所の図書館の児童コーナーに水木しげる先生のサインがあり、行く度にありがたく拝見する。サインに、鬼太郎と目玉のおやじのイラストに、「子どもはみんな妖怪です」って文が添えられている。

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2010/02/13

フィンランドは寒いからあたまがいい

子どもとの近頃

このところ、たまにふっと暖かい日がある。暖かい日は季節の変わる春のにおいがする。

私は興奮して、子どもを自転車の後ろに乗せてしきりに「春のにおいがするよ! 季節の変わるにおいだよ!」と言っている。

子どももそれに感化されたか、自転車に乗りながら「春のにおいがするねえ。黄色のお花のにおいがするねえ」などと言っていたのだけど、ふいに「ねえお母さん、ふんでみて」というのだ。

「ふんでみて」?

何か、自転車の車輪で踏んで欲しいのか。「え?」と聞くと、こどもはしきりに鼻を動かしている。ふんふん。

ふんふん。

あっ! 「かいでみて」ってことか!

夫との近頃

子どもに本を読んでやっていた。

懐かしい、くまくんの絵本シリーズの「どうすればいいのかな?」で、この本はくまくんが、間違いながらも服を着ていくというもの。

シャツ、パンツ、帽子、靴と身につけていって、最後にでかける。が、彼はパンツははくがズボンをはかないのだった。

子どもに読んでやりながら、夫の声を聞いていたのだが

「おっ、ズボンはかないで出かけちゃったね。まあいいのか、クマだから」

という「まあいいのか、クマだから」がなんだかおかしくて笑った。クマだから、パンツだけでもまあいいよね。うん、確かに。

その夫のセリフを聞いてから見た、クマくんが出かけていく背中が描いてある最後のページのイラストを見たら、なんだか

「あー…、パンツだけで行っちゃった…」

という気持ちがあふれてきて、感慨深かった。

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フィンランドの教育に詳しい先生に話を聞く機会があった。

フィンランドといえば、きれいな外国の人(イメージでは主に ど白人)が寒そうにしてるオシャレな国、子どもはみんなかしこいらしい、ぐらいのいかにも! というイメージしか持っていおらず、詳しいお話を聞くのももったいない予備知識ぶりだったので申し訳ないんだけど、その先生が面白い人で、気になる話がいろいろあったので以下、気になったことトピックス。

なおなお、私の(ひどい)解釈違いがあるかもしれないので、ひとつそこはご了承ください。

ちなみに、フィンランドの「かしこい」というイメージの元は、はPISA調査という義務教育終了段階の学生を対象とした試験の各分野(数学的リテラシー、読解リテラシー、科学的リテラシー、問題解決能力)で1位になってるからだそう。

・フィンランドの子はPISAの成績がやたらいい。なんでかと思って考えた。寒くて暗くて冬の間することがない。だから本ばかり読む。したがって、頭がいい、そうなんじゃないか。それで実際フィンランドに通って研究した。「暗くて寒くて~~」といのは、50%は当たってたんじゃないかと思う。

・研究には長い年月を要した。フィンランドに通って5年で、ようやくフィンランドという国の教育が理解できた。

・だから、フィンランドの教育現場を見ようとへ研修目的で行くのをよく目にするが、1回くらい行くのではフィンランドの教育はおそらく理解できないのではないか。

・だって、フィンランドの6歳が学ぶ教室って、子ども寝てたり物食べてたり、学級崩壊みたいなことになってるんだよ。

・「フィンランド式教育」というのが一時日本で流行ってたみたいだけど、あれはあんまりフィンランド的じゃないと思う。フィンランドの教育というのは、そういうことじゃないんじゃないか。

・フィンランドと日本は、文化が根幹から違う。フィンランドではよく家族みんなで夕食をとる家庭が多いというが、でも食べてるものが全員違う。それを疑問に思わない。それぐらい、文化が日本とは違う。だから簡単に真似できないし、比べられない。

・フィンランドも日本も、教育の平等を目指している。日本は全国どの学校に行っても同じ教科書で同じ教育がほどこされる(そりゃちょっとは違うと思うけど)、フィンランドはクラスごとにまったく授業の形態が違う。クラスが違えば生徒も違う。おのずと授業内容も違うだろう、平等って「同じ」ってことじゃないという考え。

・フィンランドは、勉強を競争にしない。つめこまない。勉強は子どもがするのを待つ。

・競争しないということには社会的背景も。協同する、協力するという社会基盤があるから(これは、ものすごい税金高くてもオッケイという社会的コンセンサスのことを言ってたと思うけど、本当にみんな笑顔でばか高い税金払ってるのかな)。

・あとは、フィンランドはえらい寒いから、ぼーっとしてるとそれだけで死んじゃう。子どもは死なないための力を養わなければならない。必然的に自立が迫られる。

・PISA調査は考えを自分の言葉で書かせる回答欄が多い。日本とアメリカで他国との違いが顕著。日本は分からないと「書かない」。無答率が高い。アメリカは分からなくても「書く」。無答率が低く、誤答率が高い。


「待つ」という教育で本当に子どもは育つのか。ばかになんないか。そういう不安があるのはやっぱりフィンランドとは全く違う文化で育ったからだとは思う。フィンランドでは、うまいこと子どもの好奇心をかきたてるような授業とかがあったりすんのかなー。

でも、あっ! 考えてみたら、私はかなり「待たれて」育った。

親から勉強を強要されることはほとんどなかった。多分、親は私が自主的に始めるのを待っていたんだと思う。

でも結局私は待てども待てども勉強を始めず、小中高と予習復習をしたことは一切ない。で、まるで学校の勉強はできなかったんだよな。九九は未だにあやふやだ(子どもが小学校入る前には覚えないと)、漢字はちょっとは読めるけど全然書けない。アルファベットの順番は歌わないと分からない。

今、普通に会社で働かせてもらえるくらいの機微は備えたので、結局はこれでよかったのだろうか。私はもしかして、フィンランド的なのだろうか! と一瞬思うもやっぱり全然違うよな。森とか行って自然と触れ合ったりしてないし(私のフィンランドの教育のイメージ。たぶん間違ってる)。今回先生にPISAの試験内容をもらったけど、ぜんぜんわかんなかったよ。

でも、同じように育てられた5人の子ども(私は5人兄弟です)がみんな元気に育ってるのだから、これでいいのか。

※ちなみに、小学校をほぼまるまる登校拒否した末の弟だけは、家庭教育しなくちゃいけないということから逆にわりときちんと日本式の教育を受けた1人だと思う。彼は消防署員になった。日本の土壌ではやっぱり兄弟のなかではまともな職業についた(私も会社員になれたのはずいぶんラッキーだったなあ)。

あと、とにかくフィンランドは寒いぞってことは先生の話からビシバシ伝わった。

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2010/02/02

争いはいけない

保育園の同じクラスに子どもをあずけるお母さんたちで、ひとつ一度子ども抜きで集まって酒でも飲みましょうよという会が催された。

……最近のこのブログは母親同士で飲んだ記録集になってないか大丈夫か。まあいいか。

当日は6時間ノンストップで話したのでいろいろと忘れたのだけど、興味深い話を2つと怖い怖い話を1つ、お土産にここに書こうと思います。

39歳のときに2子目を産んだというお母さんの話なのだが、産後、病院の授乳室で近い日にお産した母親が揃って授乳するということがあったそうだ。

で、その母親の輪に入るも、どうも周りは若いお母さんが多い。「昨日『のだめ』見た?」なんて話しをしていて、話題が自分の好みじゃない。ぱっと見渡すと、なんとなく自分と同じ世代かと思われる人がいる。よし話しかけよう。

「あの、『相棒』見てます?」

相棒!

この話を聞いて、私はどわっと笑ってしまった。というのも、常々「相棒」というドラマには何かあると思っていたのだ。単なるドラマではない、なにか入れ物として非常に面白い部分が。そもそも「相棒」という言葉の絶妙な使わなさ、使ったとしたときのシュチュエーションのありえなさというのがある「おう、相棒」って、言わないよね。いう人がいたら、ヒュー! ってひやかすよね。

確内容自体がなにしろよくできていて面白いドラマなのは間違いなく私も進んで観るくらいなのだけど、今回聞いた話しのように「あの、『相棒』好きですか?」という使い方をするときに抜群になにか面白みが出る。ああ、なんだろうなあ。

しかし飲み会の場では「『相棒』! うひゃー!」と笑ったのは私だけで、あとはみんな「そうよね、『相棒』面白いよね」と静かにうなずくというリアクションでちょっと申し訳なかった。

妊娠時のつわりの話。ある人があまりにも辛くて

「会社にいるとき、パン食べるか寝てるかしかしてなかった」

といっていた。すごい。パン食べてるか寝てるかしかしない同僚。隣にいたら、ちょっとどうしていいか分からない。だって、パン食べてるか寝てるかなんだぞ。

いやいや、つわりというのはひどい人は本当に大変でそれこそ食べちゃ吐いてで10キロ痩せたり、逆に食べづわりといって始終食べていないと気持ちが悪いというタイプの人はどうしようもなく10キロ太ったりもするという症状なのであって(私はどちらかというとこっちで、4キロ太った)、決して笑うことはできない。

でも、パン食べてるか寝てるかというキャッチーすぎるほどキャッチーなトホホさに、本当に心酔したというか、人間っていい! と目をきらきらさせた。その方も、「今になっちゃ笑い話だけどさ」といってウィスキーの水割りみたいのをガブガブ飲んでたので、遠慮なく私も引き続き目をきらきらさせました。

パン食べてるか寝てるか。いいなあ。いい墨すって書にしたい。

でも、本当つわりは困りますな。

最後に怖い話。

争いはいけない。紋切型の文章を、ちょっと本気で信じた。

保育園の入園が希望者が多く厳しいとはよく聞く。待機児童という言葉もある。私の住む地域も年々入園が難しくなっているそうだ。

怖いというのは「保育園に子どもを入園させるために、離婚する親がいる」という話を聞いたこと。

この話は都市伝説的に前々から聞いていたのだが、実際の例を何組も見たという人がいた。まじかよ。

保育園の入園の基準は市区町村でそれぞれ違うが、家庭状況を点数化して優先順位をつけることが多い。その順位が、ひとり親だと高いのだ。そりゃそうだ。だって、一人しかいない親が働かなくてはいけないのだから、その間は誰も保育する人がいない。保育園が絶対に、どうしても必要な世帯なのだから。

そこを、離婚して一時的にひとり親になって、そうして保育園に優先的に入れてもらおうという人がいるというのだ。戸籍上離婚して、実際は同居している人もいるという。だめだ。まだやっぱ信じられないわ。

こういう事態を聞いて、まず思うのは「親が働くこと」ではなく、「保育園に子どもを入園させること」が目的になってしまったのだとしたら、恐ろしいことだよな、ということだ。

実は、私にもちょっと身に覚えがある。

私は0歳で子どもを保育園に入れた。生後8ヶ月のときだ。本当は満1歳で復職する予定で会社も快諾してくれいたのだけど、保育園入園事情を調べるとどうにも新学期である4月でないとどこもいっぱいで入れない。

4月というと、子どもはまだ8ヶ月。そんなに早く子どもと離れ離れになっていいものだろうか。せっかく母乳はどばどば出てるし、満1歳まで完全母乳で育ててみたい。

結局いろいろと考えたのち、4月のタイミング、子どもが生後8ヶ月のときに復帰すべく保育園の入園希望資料を区に提出した。仕事も職場も大好きだから仕事には戻りたいし、金銭的にも私が働かないと生活水準は保てない。折り合いはついた。

とはいえ、4月で0歳に入園させるというのも競争率は高く、叶うかどうかは分からない。同じ境遇の母親同士で情報を交換しながら区からの連絡を待った。

入園許可通知が来た。第一希望の園は無理だったが、少し遠いながらに第二希望の園からだった。

もんのすごい、うれしかった。

もんのすごい、うれしかったのだ。

生後8ヶ月の子どもを保育園にあずけることについて結構な迷いがあったにもかかわらず、ただただ大喜びしたのだ。

なぜだろう。

そうだ、高い倍率をくぐりぬけたからだ。競争に勝ったからだ。

私はうっかり「勝った」と、思ってしまったのだ。

いつのまにか、心のどこかで、保育園の入園可否が「勝ち負け」になっていた部分が確かにあった。

「保育園に子どもを入園させること」は、本来目的ではない。目的は「親が日中保育をせずに働くこと」である。そのために「保育園に子どもを入園させること」が必要なのだ。それが、保育園入園の厳しさを前に、そして保育園入園が「点数による優先制」であるという事実を前に、気持ちが闘争モードに切り替わってしまったというところが、少なからずあったのだ。

保育園に子どもをあずけられるかどうかは、競争じゃない。これって当然のことだ。でも、うっかりそれが忘れられて、競争になってしまうというシステムになっているのだ。

目的に対して切実だからではなく、単に競争心理に火がついたという理由でうっかり離婚しちゃっった人がいたらどうしよう。そう思うと焦る。そのせいで、本当に保育園が必要な本当のひとり親が保育園に入れないとか、そもそも離婚しちゃってその家庭大丈夫なのかとか、本来生まれる必要のない重大な問題が噴出してキャーっだ。怖い怖い怖い。

争いは無意味だとかよく言うけど、まさにそのパターンのやつだと思って、思い出すたびに最近はぶるぶる震える。

ちなみに、8ヶ月で子どもを保育園にあずけられたことは本当に感謝していて結局一切後悔することなく、次の4月からはもう3年目です。保育士さんはみんな丁寧で、心置きなく仕事させてもらって、子どもも元気で、同じクラスの親御さんもみな良い人ばかりで、我が家には向いてましたわ!

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