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2009年11月

2009/11/24

キャンプファイヤー

このあいだの連休、高尾にある宿泊施設に実家の家族と幼なじみ家族と行って来た。野外活動ができる施設で、小規模でキャンプファイヤーができるというので申し込んでいた。

というのも、一緒に行った幼なじみの家のお父さん(私にとってはつまり「近所のおじさん」にあたる人だが子どもの頃からの付き合いなのでほとんど第2の父のような人)がその道で生きてきたキャンプのプロで、キャンプファイヤーについてもすべてを知り尽くした人なのだ。

キャンプファイヤーといっても色々な“型”のようなものがあり、おじさんがかかわってきたのは中でもかなり厳粛なタイプのものだったらしい。

一同には、いつもふざけてみんなを和ませるおじさんのキャンプファイヤーの仕切りの腕をぜひ間近で見たいと心のどこかで期待する部分があった。

ただ、本気のプロに気軽に「あれ、やってよ」とはちょっと言いづらい。おじさんも大変に照れて結局はメラメラ燃える火をみんなで眺めていた。

このままではせっかくのキャンプファイヤーがぐだぐだで終わってしまうという危機感を誰もが感じていたころ、誰ともなく、おじさんに対して「頼むから何かやってくれ」という声があがった。

おじさんも、さすがにこれではという思いはあったようだ。それじゃあ、と腰をあげた。

「二人羽織をやります」

おじさんはそう言った。

今回集まったのは、おじさん本人と私の母の2人の還暦を祝ってのことだったのだが、おじさんは、その還暦の2人で二人羽織をやるというのだ。

燃えさかる炎の前で、二人羽織が始まった。母が胴体の部分(顔が出てる部分)を担当し、おじさんが手を担当する。突然のことでどうにも機転がきききらない母がギリギリで言ったのが

「頭がかゆいなあ」

というセリフであり、それに対応する形でおじさんは母の頭を掻いた。

Nininbaori

二人羽織が終わり、その後、まためらめらと燃える火を呆然とみんなで眺めた。

おじさんによるキャンプファイヤーの儀式を体験したい願っていたのは私たちだけではなかったらしく、実は施設の職員の方が何名か見学に来ていたということだった。

バランス栄養食というのが「不思議と」ちょっと好きだという人は結構たくさんいるんだろうなという自信がある。

なんでしょうね、あの「不思議と」、な感じは。おいしいというよりむしろまずいのにおいしいあの感じは。

不思議と好きなだけで、大好き! なわけではないので、進んで食べようとか、ましてや美味しいやつを探求しようという気持ちはほとんどなく、食べるのは「バランスアップ」(一粒で個包装になっているやつ)や「ソイジョイ」や、たまに「カロリーメイト」というくらいで、そのほかのものはあまり食べたことがなかった(「カロリーメイト」の味の不思議さについてはまた別途書く必要があると思うが、それはとりあえず置いておく)。

そんなバランス栄養食のなかで、ちょっとあこがれる一品があった。
「クリーム玄米ブラン」だ。

コマーシャルもよくやってるし、キオスクやドラッグストアでばんばん売られていて、パッケージもきゃぴきゃぴしていて、バランス栄養食には珍しくどこか進んで「食べたい!」と思わせるものがある。

ただ、ワンパッケージのボリュームが多く、あるとあるだけ全部食べてしまうというダメさがある私にはおやつとしては不向きでどうにも手が伸びなかった。これほど気にしながらこれまで1度も食べたことがなかったのだから、縁もなかったんだろう。

それが、ここのところ2回連続でどうにも食事をとる暇がないということがあって、食べた。

ものすごい美味しいちょっとしたケーキみたいなものを想像していた私が悪いのだが、思ったようなおいしさがなくて、これが派手に宣伝していてよく売られているあのクリーム玄米ブランなのかと関心した。

まず、あまり甘くない。そして商品名にもあるのでそりゃそうかとも思うが、覚悟以上に玄米だ。口の中にごわごわ広がる。

そうだった、これはバランス栄養食だったのだと律儀に思い出させてくれるようないかにも不思議な味。他のバランス栄養食同様、「不思議と」好きなことにはかわりないので、また機会があったらぜひとも食べたいです。次の機会はいつだろう。

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2009/11/17

お金をください

前回のこちらの日記で、ドンジャラの類似商品「ジャラポン」を妹の過失によりだめにしたところ、祖母が新たに新しい「ドンジャラ」を買ってくれたということを書いた。

それで思い出したのだが、当時、祖母は本当に豪儀だった。私が子どもの頃まさにバブル全盛という時代で、商売をやっていた祖母は相当にもうかっていたらしい。

祖母は私にもかなり贅沢をさせてくれたようだ。暖色系のボーダーのイブサンローランのシャツを着て幼稚園に行っていたことをおぼえているし、ぺらっとした小さな私のシャツのタグに8000円と書いてあるのを見て、こんな値段設定があるのかと子ども心にどきどきした。

買い物が好きで、特に人に物を買い与えるのが好きだった。とにかく、私や妹弟に常に何かを買ってくれようとしていた。今思えばそんな子ども本当にやだなと思うのだが、祖母のうちに遊びに行くと連れて行かれるのは日本橋の高島屋だったのだ。移動は全部タクシーだった。私は多分、一生分のタクシーを子ども時代に乗りつくしたと思う。

これも前回の日記に書いたとおりだが、ただし私はなんだか時代遅れで汚い子どもだった。サンローランの服を着て行ったのも、お嬢様園などでは決してない普通の普通の幼稚園だ(そもそもお嬢様園には制服があるか)。バランスがあからさまに変。せめて私が顔ぐらいは洗う子だったら! いや、だめだ、顔だけじゃだめだ。全身洗わないと(ちなみに全身ちゃんと洗うようになるまで、子ども時代から20年かかりました)。

今でもよく思い出すのは、祖母が発売されたばかりで手に入らない状態になっていたゲームボーイをほうぼうに電話してようやく1台デパートに予約してくれたときのことだ。特に私がリクエストしたわけではないのだが、とにかく大人気ということをニュースなどで聞いて手配してくれたのだろう。

勇んで私に電話をくれたのだが、なんとあろうことか私は「いらない」と言ったのだ。

というのも、母が祖母の贅沢をかなりきびしく規制していた。娘や息子を甘やかしてはいけないという気持ち、親になったいま私にも強烈にわかる。

聞き分けがいい私は(そういえば、生まれながらの性格なのか何なのか、私は本当に不器用に不必要に聞き分けがいい)祖母よりも母のいいつけをよく聞いて、祖母の贅沢には遠慮がちだった。母に対して、私はゲームボーイを欲しがらなかったことでかっこつけようと思ったのだ。

あのときの、祖母の落胆はすごかった。「よそんちの子にやっちゃうよ!」などと言ってしょんぼりしてちょっと怒っていた。結局、ゲームボーイは電話を代わった妹が買ってもらえることになったが、妹はまだ小さかったのでやはり祖母は私に買いたかったのだ。

そうして、ずいぶん時間をかけて母に遠慮しながら祖母に贅沢させてもらうというコツをつかんだころ、祖母は死んだ。

バブルもはじけて祖母自身もそんなにお金が使えなくなってきた頃だったらしい。「お金ないからどうせ生きてても生きてないみたいなもんだったんじゃないか」と母や叔母は言っている。

死ぬ前の冬にコートを買ってもらった。私が贅沢するようになって、祖母はすごく喜んでいた。「来年も買ってやるからな」といって笑って、私は贅沢な人がコートを毎年買うのを知った。

私は祖母が大好きだった。墓参りに行くと思うとちょっとわくわくするのだから、やっぱり相当好きだったんだろうと思う(というか、今も大好きだな)。

しかし、毎年コートを買うとかもう本当無理だ。たまに、祖母のことを思って私は「お金をください」と祈る。祖母は私にとって、お金の神様みたいな感じになってる。

子どもとの近頃

お風呂場でふと水を飲んでテンションが上がっていた。全身使って「おいしい! おいしい!」といっている。そういえば、子どもの頃風呂場で飲む水は確かにおいしかった。

それで、どれと思って飲んでみた。「おいしい?」と聞かれて「うん」と答えたが、正直普通の水道水だった。

子どもにだけ見える妖精みたいなもんなのかもしれない。風呂場の水。

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2009/11/10

ゴミ捨て場でファミコン「火の鳥」を拾った時代

私は幼稚園から小学校5年生の2学期まで、神奈川県の相模原市にいた。マンション住まいで、今もそのマンションには今も仲の良い当時の幼なじみが住んでおり、先日久しぶりにその地をたずねた。

引っ越してから20年。一度、15年ぐらい前にも訪ねてはいるのだけどほとんど覚えていない。ほぼ、20年ぶりという感じ。

ほとんど変わっていなくて驚いた。だいたい土地というのは「うわあ、この辺りもずいぶん変わったなあ!」というものなんじゃないのかイメージ的に。いやでも、商業地域でなければ、基本的にはどこもそうは変わらないものなのかもしれない。

駅から道を行くごとに、どばどば詳細が思い出される。

まず最初に、ふーさん(という友人)の家を発見した。よく遊びに行ったときのままだった。ふーさんは水泳が得意な女の子で、一人っ子だった。いつもきれいなお母さんが水泳教室に同行しており、一度私もついていかせてもらった。生暖かい保護者用の見学スペースで、ふーさんのお母さんにフライドポテトを買ってもらって、食べながらプールのふーさんを探した。

道を歩きながら興奮してでかい声でふーさんの思い出を話し出したもので、一緒に来てくれた夫や子どもを圧倒した。

ちなみに、ふーさんが買った「パンプキン」と書いてある自転車が大ブームになり、そうだ、私も親にねだって買ってもらったのだった。私は赤のだった。ふーさんのは何色だっけな。

マンションが見えてくる。広くあけっぴろげだったゴミ捨て場は駐車場になっていた。

あ!

そうだ、私はこのゴミ捨て場で「火の鳥」のファミコンソフトを拾ったのだ。それは未発売のソフトだった(どうやって未発売なのかを知ったかは覚えていないのだが)。ちょっと興奮したが、近所の中学生のお兄さんのところに持っていったところ筋ケシとトレードということになって終わった。

なんでゴミ捨て場に未発売のファミコンが落ちていたのかはともかく(ともかくでいいのか)、うっかり金ケシと交換になったときの無感想な感情はなんとなく覚えてる。うちにはまだファミコンがなかったので残念でもなかった。筋肉マンにあんまり興味がなかったので、クリボーの筋ケシ(というか、あの手のゴムの人形)をもらった。

マンションは塗り替えなどを経ながらも以前の形のまんま立っていた。そりゃそうか。コンクリートの継ぎ目のゴムパッキン(というのかな)部分でぶにぶにしたところがあり、子どもの頃よく押していたのだが、その感触も昔のままだった。ぎゅうぎゅう押すと、上の塗装がメリメリめり込んでおもしろい。

マンションの壁の下から10センチぐらいのところに点々と開いている排気口もそのまま。その排気口には、3歳くらいだった頃の三女が「タッチ」のドンジャラ(の類似品の「ジャラポン」という商品だった! そうだ!)の牌を全部入れてしまったのだ。ある程度は箸などで取り出せたが、結局全部は取り出せなかった。

ジャラポンに夢中だった私と次女は激怒だ。結局、祖母が新しく「ドラえもん」のドンジャラを買ってくれて丸くおさまった(そもそもタッチのジャラポンはドラえもんのドンジャラがなくて代わりに買ってもらったものだったで、超結果オーライだ。それにしても、当時の祖母はお金を持っていて母さえ許可してくれれば何でも買ってくれた)。

そもそも、外でドンジャラ(ジャラポン)をするからそういうことになるのだが、今だって子どもはみんな外で座ってDSやってるもんな。

とまあ、あふれ出す思い出はみんな楽しいもので、ちょっとほっとした。

実は最近、子どもを育てながら自分の子どもの頃の育ち方ことをどわーっと思い出していて、ちょっと不安になったりしていたのだ。

私は世の中の情報にうとく(テレビを見せてもらえない家だったうえ、兄や姉がいないので情報経路がなかった)、その上勉強もまるでできず(勉強することは誰からも強制されなかった)、運動も苦手で(特に球技はルールも知らない)、ちょっと変わった家で(夏休みにヤマギシズムの村に送られたり、父母のことをお父様・お母様と呼ぶ習慣があったり)、しかも不潔な子どもだったのだ(手を洗ったり歯を磨いたり顔を洗ったりという基本的な清潔観念がなかった)。

思い出せば思い出すほど困った要素しか出てこず、そりゃさすがに多少はみそっかすっぽい立ち位置だったりいじめられたり(でもあまりにも世間知らずなため、自分の状態が「いじめられている」状態であることが分からず、なんとなくおなかが痛いという理由で登校拒否になったり)した確かな覚えはあるけど、実際育った場所に行ってみたらあまり嫌な思い出はない。

なんだ、大丈夫だったんじゃんかよ、と思った。どうせ今まで全く忘れてたしなあ。

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2009/11/02

まんがみたいに挟まれた

電車で帰ってきて駅に降り立ったら、向こうからボーイスカウトとガールスカウトの一団が一列になって歩いてきた(歩道が細いので、一列になるしかない)。

毛布をぐるぐる巻いて紐でまとめたものを持った若い男の人、金づちを持った男の子、おたまを持った女の子。なんでか、そのものを丸出しで持っているのだった。

ボーイスカウトやガールスカウトの人たちにはたまにしびれるほどのかっこ良さを感じることがあるが(※1)このときも大いにしびれた。なんでカバンにしまわないんだ。

※1 大晦日には近所の神社の参道を松明で照らすのだが、この火の番をするのがボーイスカウトの仕事で、どえらい寒い中を半そでで腕組みして火の隣に立ってたりしてすごいかっこいい。

週末、夫の実家に遊びに行ったとき。近所のショッピングモールの駐車場のエレベーターの扉に挟まれた。

ただ静かにゆっくり挟まれるのであればまあ笑いもおきない話なのだが、閉まり行く扉の間で私はパチンコ玉のようにガツンガツンと両サイドにぶつかって、ブルブルしたのだ。スーパーマリオでいうところのブロックとブロックの間に挟まれたスーパーキノコ(1upキノコでも)みたいな状態といいうと分かりいいだろうか。

夫はこれを見て大いに関心して、この後買い物や食事などしてから

「おれ考えたんだけど、マンガ的な表現というのは実はとても現実に即した表現なのではないか」

という考えを表明していた。「ほほう、確かにそうかのう」とひげをなぜるも、それってスーパーキノコみたいになってた私だけじゃないかしらね。

手術から今日で1週間、経過診察で良好との診断を受けまして今回の一連の通院はおしまい、ということになりました。

なんだか今回は大騒ぎしてずいぶん多方面にご心配おかけしました。もう大丈夫です。というか、そもそもそんなに大きな手術でもないのに、なんだかえらく騒いでしまったなあと反省しております。

近所の友人や会社の同僚から10年以上前の学生時代のサークルの先輩まで、たくさん連絡いただいてこんなことそう人生にはないよなという経験でした。ありがとうございました。

そういえば手術の翌日、医師によると「ぜんぜん大丈夫」とのことだったので会社で仕事してたら、出社してきた林さん(上司でデイリーポータルZの林雄司さん)が私を見るなり「やだっ! 古賀さん、今日は来なくていいのにぃ!」となんかオネエみたいな(正確にはもっと普通の言い方をしていたと思うんだけど、なぜかそう聞こえた)気の遣い方をしてくれて、えらくありがたい気持ちになった。

またがんばって仕事したり子ども育てたりします。

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