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2009年4月

2009/04/30

夏こそニット

忙しいときだからこそ、日記を書こうと思った。

こうやって「○○だからこそ、××しよう」という言い回しを読んだり自分で書いたりするたびに思い出すのが、20歳ぐらいのときに習っていたモダンバレエの先生の言葉

「夏こそニット」

だ。先生はずっとニットのスパッツを練習着として着ていた。真夏もそうで、そのことを生徒に聞かれて言ったんだったと思う。「夏こそニット」。そんなに重要な情報を含んだ1文じゃないはずなのに、ふいと思い出す。

ちなみに「忙しいときだからこそ、日記を書こう」ですが、なんだか忙しいのかそうじゃないのか分からないような日々です。ここまで何がなんだか分からないのも久しぶりだなあ。実際はそんなに忙しくもないような気もするけど、夫に子どもの面倒を頼んで残業までさせてもらってしまった。

たまに物忘れをする。そんな物忘れのなかで最近増えているのが、うきうきする気分だけ残った物忘れだ。

ああ楽しみだなあ、うきうきするなあ、というちょっとした楽しい用事を忘れて、心はうきうきするけれど、何でうきうきしているのかが分からないという状況によくなるのだ。

この間の朝もそうで、出掛けに「あ、あれを今日はやろう」と思ってうきうきしたものの、家を出て歩いているうちに心のうきうきを残して肝心のうきうきする用事を忘れてしまった。

心だけがうきうき、どきどき、少しそわそわしている。

うわっ、なんだ、なんかうきうきすることやるはずだったのに忘れちゃったよ! と慌てるのだが一度忘れるとなかなか記憶はもどらず、うきうきが消化されないまま、駅について電車に乗るのだった。

今回は珍しく電車の中でうきうきする用事を思い出した。通帳を記帳しようと思っていたのだ(記帳は私の趣味のひとつです)。

子どもとの近頃

DVDのパッケージが好きで、よく眺めている。

テレビはよく見せるのだが、自宅にいる時間がほとんどないこともあってDVDはあまり見せていない。子ども向けのDVD自体あまりないのだが、数少ないうちの何本かは(ガチャピンチャレンジシリーズとか、私がむかし好きで買ったやつ)、中身を見ずにパッケージをしげしげながめては悦に入っている。自分では開けられないので私に開けろとせがみ、あけると中のパンフレットを見てふむふむやっている。

何が面白いんだろうかと思う。心からそう思う。

声に出して読みたい日本語、というのがあるようだ。

あれはなに? と指をさすので物の名前をよく教えている。教えると自分でもつたないながらに繰り返し言ってみているのだが、たまにヒットすると何度も何度もその名前を連呼する。最近だと「つつじ」がそうだ。教えてから、家に帰るまでずっと「つつじ、つつじ」と言っていた。

確かに語感は楽しいよね「つつじ」。

追伸
今日はお弁当のご飯に、醤油を合え忘れてそのままのおかかをかけてしまった。味気なさこの上なすぎてびっくりした。

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2009/04/21

ドラえもんのお皿

季節はずれのセミの抜け殻が風に吹かれて飛んでいったのを目撃したこと、少し前にこちらに書いた。今朝、干からびたミミズをけっとばしたら同じように風に吹かれてどっかに流されていった。粉になるのだろうと思った。

干からびたミミズとは非常に縁がありますが(実家の近くは雨上がりの道路にミミズが大量に打ち上げられるという場所なのです)、けっとばすとあんなに簡単に地面からはがれて風に吹かれるというのは知らなかった。ピラっと飛んでいった。即効で土に還りそう。

風呂掃除のモップを処分するために軽く洗って干しておいたら、アリが来た。捨てるために袋に集めて外に出しておいたビールの空き缶にもアリは来た。

アリの何にでも来る感じは本当すごい。

DVDとかも外に出しといたら来そうだ。

こどもとの近頃

買った甘夏が、予想通りといえばそうなのだが、非常にすっぱかった。独特のすっぱ苦い味。私はわりと好きでそのまま食べるのもやぶさかでないが、蜂蜜漬けにして食べたりするのが普通だろうというぐらいの味だった。どうかなと思ったが、子どもに上げてみたらものすごい喜んで食べた。

以前同居していた祖母は極端にすっぱいものを苦手としていた。歳をとるとすっぱいものが本当にだめになるのだといっていた。

もしや、年齢に比例してすっぱいのが苦手になっていくものなのか。と、なんだか最近は子どもと老人を比較してばかりいる。

で、そんなすっぱいのが苦手な祖母が、私が子どものころ使っていたドラえもんの食事プレートを捨てずにとっておいてくれたのだ。

Dora

使い込んでいる上に汚れているが、ちょうかっこいい作り。早速子どもに与えてみた(ドラえもんというキャラについてはマンガやテレビアニメなどで教え込んでおります)。

両手で持って見つめて2分くらい静かにしかし荒い呼吸を繰り返したあと、大きく「ふぅー」と息をついた。

要するにすごい嬉しかったみたいです。興奮すると人は静かだ。

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2009/04/13

ようこそ世界へ

すぐ下の妹が出産した。やや小さく生まれたので、便宜的に家族に「豆太郎」と呼ばれているらしい。
豆太郎、ようこそ世界へ!

そして今日はたくさんの人がいるというお話です。

こうなったら我が家はもう毎週ピクニックということでひとつよろしくお願いします、という気候だ。暖かくなるとカビとゴキとカに困らせれ始めるが、ピクニックがあるからプラマイゼロでと思っている(真夏になるとピクニックができないのでただただマイナスだ)。

友人4家族で駒沢公園へ繰り出すと終わったと思っていた桜が今まさに散っていて、ここで芝居でもひとつ打っておかなくて大丈夫だろうかという桜吹雪だった。

駒沢公園はどちらかというとスポーツ公園であり、ピクニックをするような場所はほとんどない。でもみんなピクニックがしたいのだ。多くの人がなかばむりやり狭い芝生や土の上にゴザを敷いて車座になっている。私たちもそうした。

場所がないので勢い隣り合う人との距離も近く、局地的に代々木公園ぐらいの感じになってる。みんな酔っ払ってうだうだしていて、ああ、みんな酔っ払ってるなあ、春だしなあ、みんなみんな、こうやってピクニックしてなんか食べたり酔っ払ったりだよなあ、と思った(横になってお菓子食べながらマンガ読んでるだけの女の子の4人組とかもいた。それ天国!)。

帰り道、公園の外周ランニングコースに出たら、芋洗い状態で多くの人がジョギングしていた。さわやかにサッサと走る人、苦しそうによろよろ走る人、いろいろいるがすごい人数だ。さっきまでてっきり全員ピクニックしてると思っていたのが、今度は全員走ってる。

ああ、世界にはたくさんの人がいる。豆太郎もそこへ加わったんだよ。

子どもとの近ごろ

物の絵とその名前が書いてあるだけの、物語のない絵本が好きな時期のようだ。「りんご」「みかん」「ばなな」とか、図鑑のような絵本(そういうのがちゃんとあるのだから、えらいもんだなあと思うよ)を見てはその名前を読み上げている。

じゃあ、と思って小さいスケッチブックを買ってきて、チラシなどから写真を切り抜いて貼ってスクラップを作ってやると大喜びして私もうれしい。

裁縫も料理も苦手で何か特別なものを作ってやることがほとんどなかったのでしばらくは一生懸命スクラップしようと思います。さっき、生協のチラシから梅干の壷の写真を切り抜いた。これで「つぼ」という単語を覚えてくれるだろう。

物の名前とセットで、なにやら身振りのようなものも身につけている。ウサギだったら頭の上に手をあてて耳を作ったり。で、ゾウなんだが、例によって腕で鼻を作るときのぐねぐねした動きがやけに丁寧だ。指先まで力を入れ、ゆっくりと左右にうねらせながら揺らす。夫が仕込んだ暗黒舞踏の影響か。

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2009/04/08

建築としての西友

会社の隣に建っている西友は地下の食品売り場に加え1Fも24時間営業だ。売っているものは靴、服、ハンカチ。これがまったくどうして24時間営業するのか意味がわからずうろたえてしまう。

早朝に行くと店員もほとんどおらず、ほぼ駅へのショートカット通路のような感じで機能している。扉を開けると、向こうの通路が見えるような気持ちで(実際は見えないが)通り過ぎる。何かスースーとスキマの空いた洞窟みたいだと思っていた。

建築家の伊東豊雄を特集する番組を見たのだが、この方の現在進行中という台中メトロポリタン・オペラハウスは行く手がずっと見通せ洞窟のようなつくりであるということだった。人々の複雑で豊かな活動を受容するおおらかさがある、とも。

あっ!

ガッシャーン! と私の頭の中で音がした。

西友だ。大森の。

どこまでが床でどこまでが壁かという区別がないというそのオペラハウス。西友はどこまでが店でどこまでが道なのかの区別がない。西友……!

勤める会社にある複合プリンタは、複数枚をプリントすると大きな動作音を出しながら排紙するのだが、その大きな音がやんでからもシレっと2枚排出する。あれがなんかかわいい。

枚数は必ず2枚だ。音がやんで、終わりかなと思ったらシレっと1枚出たので席に戻ろうとすると、さらにもう1枚シレっと出す。かわいい。

内線としてPHSが各人に渡っているのだが、いかんせんPHSなのでたまにうっかり自宅へ持って帰ってしまう。こないだは週末に持って帰ってしまって、何かと見つけてはアワアワした。

社内では携帯をバイブに設定してあるが、机の上に出しておくとえらい震えてむしろうるさい。ブーン!ブーン!ブーン!という音に加えて本人もぶるぶる動いているのだ。私はよくその音でビクッとなっていたのだが、あたりを見回すとどうもみんなタオルなどを下に引いて振動を吸収させているようなのだった。「おお、ナイス案」と思うが、ついその辺に出しておいてしまってやっぱりビクッとするのよねー。

子どもとの近頃

・何ってトイレで少しずつ用が足せるようになっているのがとにかく嬉しい。上手にできるとキャーキャーと喜んでしまう。人がトイレでおしっことかうんこをしているのを見て喜ぶのだ。いい趣味だと思う。

・近頃、夜の寝かしつけによく歌を歌う。童謡を中心に適当に思いついたのを歌うのだが、私が歌うたびに枕から顔をあげて「その歌じゃない」と首を振っている。ぶんぶん。「ららら~♪」むくっ、ぶんぶん。これを繰り返していつしか首が持ち上がらなくなり、眠る。

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2009/04/01

老人と子どもと時間

新年度明けましておめでとうございます。今年度はもっと更新したいなと思います。たまにどーんと書くんんじゃなくて、日々少しずつという感じで、ほら、勉強でもなんでもそうやってやるほうがいいっていうじゃない(おばさん)。

そして、この新年度をもって産後に仕事復帰してから1年とあいなりました。いやあ「早かった!」

なんでわざわざ「早かった!」とかぎかっこをつけるかといいますと、育児休暇中はなんだかんだで日々が過ぎるのが遅くて、大人になってからというもの、だいたい日々というのは早く過ぎていくものだったから、こんなにゆっくりと流れる日常もあるのかと驚いていたのです(過ぎた日として大きくなった息子を眺めつつ思い出すと「短かったなあ」とも思うけど、実際過ごしていた日々は確かに非常にじっくりと流れていた)。それが仕事を始めてからは恐るべき速さで日が過ぎていったので、感慨がかぎかっこつきになったというわけなのです。

なんでだろう。

1・物分りのいい大人と違い、これまで子どもと接点がなかった私にとって子どもは分けがわからなすぎて、学ぶことが多すぎて毎日がいろいろといっぱいいっぱいだった。
2・とはいえ、暇といえば暇だった。
3・一緒に生活している子どもが感じている体感時間(おそらくは非常にゆっくり)にひっぱられた。

3を書いてあっと思ったのだが、まだ祖父が存命で祖父母と一緒に3人で生活していたころの時間の流れる早さはとんでもなかったのだった!(あの頃はたびたび祖父母の友人や親戚がきて家が老人であふれていることもままあった)そういうことなのか?

柚子茶ってあれどこがどう「茶」なんだと、もしちゃんとした理由があって誰かが教えてくれても私は訴え続けるよ。茶じゃなさにもほどがあるっつって。

子どもとの近頃

・第一次反抗期である2歳を目前に、早くも反抗体制(略して反体制)に入った。体制である私に対し、とりあえず食べ物を床にたたきつけるもしくは落とす、という方法で反体してくる。私としては「あー、もー」と思うのだが、そういえば食べ物を床にたたきつける人ってそんなに見たことがないなと思って近頃はどうしてもじっくり見入ってしまって怒る気にならないのだ。体制。

・夫が子どもに対し「チュッチュレスリング」というものをさんざん仕掛けている。子どもを押し倒してチュッチュとほっぺにキスしまくるというもの。うん、そうなのだ。ひどい。「チュッチュレスリング」という夫自身による命名のひどさもただならない。全体的にひどい。が、夫も子どももこれがもうやたらに楽しそうだ。たぶん今一番好きな遊びなんじゃないか。チュッチュレスリング。

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