2012/01/31

実験、一杯の納豆ご飯

先日、実験をした。
この結果が私としてはちょっとしたアハ体験だったのでご紹介したい。

と、その前に。家事の中でもかなりのウェイトを占める炊事だが、各ご家庭での担当具合というのはどんなものなんだろう。

うちの炊事に関しては、監督兼1軍選手が私で3軍選手が夫、戦力外が2人の子どもたちといったところか。

主に私が炊事をして、たまに「ちょっと○○作ってくれませんかね」とお願いすればやさしい夫がやってくれるという感じです。

監督は私なので、炊事を休むのも私次第で休み放題だ。出来合いものを買ってきてもいいし、外食をしてもいい。

ただし、「今日は出来合い!」、「今日は○○へ食べに行く!」という決断は自身で下さなければならない。この決断は管理下である食費を守るため勇気と体力を要する決断となる。

そうなのだ。我が家は全員食いしん坊にもかかわらず、「○○へ食べに行きたい~」「○○が食べたい~~」という希望が上がってこない、基本監督絶対の指示待ちチームなのだった。

この状況に対し監督として不満ではないが、多少の刺激があってもいい、もう少し選手の声を聞きたい。って、ただ普通にもっとはっきり食べたいもの言ってくれたりしたら楽なのになあと思っていたわけです。

さて実験である。

ある休日の昼。食事を納豆ご飯1杯にしてみた。

食卓に家族人数分のお茶碗に盛られた納豆ご飯。以上。

私一人の食卓だったら珍しくはない光景だが、休日の、しかも今まさに成長せんとする小さな子どももいる家族4人の食卓である。これにはさすがに指揮系統が崩壊するのではないか。

予想した反応はこうだ。

(1)4歳の息子:「ほかにもなにか食べたいと要求する」
(2)1歳の娘:「同様に泣く」もしくは「ハンスト」
(3)夫:「ほかにもなにか食べたいと要求する」もしくは「自身でなにか調理する」

監督という存在を欲求や自主性が超えていく、そんなイノベーションよ起これ。期待をこめての一杯の納豆ご飯である!

結果、こうなった。

(1)4歳の息子:「これだけ?」と聞くので「うん、これだけ」と言ったら「そうなんだー」と食べた
(2)1歳の娘:ただ食べた

しまった。そういえば小さな子どもというのは状況に疑問を呈するということをまだ知らないのだった。目前の状況はすべて受け入れるのが子どもなのだ。

しかし夫だ。大人の夫が残っている。


(3)夫:「もう一杯食べてもいい?」

そうきたか!

考えてみれば当たり前の返しだが、私の頭では想像できなかった答えだった。ちょっとしたアハ体験である。だって、ほかに何か食べなくちゃ栄養とかいろいろあるじゃんか。

気持ちとしてはそうだな、監督の指示通り動いた選手によるオウンゴールが決まった、という感じだろうか。

このチームにはやはり監督がいるようだ。
地球には私が必要。それを確認させてくれてありがとう。

そうして監督は3軍選手に急遽カボチャをふかすよう指示、さらにミカンを出してビタミンを補給した。

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2012/01/17

きのうの夜

息子が夜中おきだして、寝ぼけたように「おかあさん、おかあさん」と布団の上を探し回っている。

探す様子はほとんど「めがね、めがね」と同じで、布団の上に転がっている小さなおかあさんを探しているような格好になっていた。

「おーい、ここにいるぞー」と声をかけたら、「おお」といって隣まではってきて寝た。

その騒ぎで入れ替わりで下の娘が起きた。

めそめそ泣いているので今度は私がさきほどの息子のようにはって娘の隣にいき、背中をとんとんたたいてやる。

娘はいつも、私の髪を手で引っ張ったり口にもっていってなめたり、かなり無理な体勢になりながら足の裏で(私の)髪の毛をなでながら寝つく。

この日もずいぶん髪をひっぱられた。何本かむしられてうろたえた(私は産後の脱毛で抜けた髪が戻らず毛がだいぶ薄い)。

娘が寝たので自分の持ち場に戻って少し本でも読もうかと夫が図書館で借りてきた東海林さだおと赤瀬川源平の「軽老モーロー会議中」を開いた。

東海林さだおが海外から高濃度のミノキシジルを含む育毛剤を取り寄せて使っていると書いてある。私も欲しいと思いながら寝た。

ぼんやりしていたら2011年が終わって2012年になっていました!
今年もぼちぼちこちらに書いていきます。

Twitterにもたまにツイートしています(@eatmorecakes)。
(Twitterがこんなに太いサービスになるとは思わずへんなアカウントで後悔しきり)

デイリーポータルZは隔週で月曜日に書いています。

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2011/11/04

服のタグを旗という

怖がりとして家族内では大変に有名な息子だ。ハロウィンパーティーを途中退場したのは、うん、まあそうだよね。くらいのものだった。

※子の親になると人は平気でハロウィンパーティーに行くのだ。どうだ、すごいだろう、ということは置いといて。

パーティーは息子の保育園のクラスメイトのご両親が経営するレストランの主催で、クラスの面々が仮装して集まるというもの。

そもそも、ハロウィンパーティーに行けた時点でたいしたものだと思う。
※まだハロウィン慣れしていない9月のころはハロウィンのディスプレイがしてある店には入れなかった。
※カボチャが「イーッヒッヒ」という顔をしているのが怖いんだよう、と言っていた。

パーティーの中盤でゾンビのマスクをかぶった子が会場を走り出しそこでギブアップとなったわけだけど、最初は友達とじゃれたり、あれこれ飲み食いして楽しんでいたのだから上出来だろう。

聞いて欲しいのはここからなんだ。

息子が怖がってパーティーを途中退場したとき、クラスの友達はなんで帰るのかが理解できず、「どうしたの?」「なんで?」と気にしてくれた子もいた。

そういう子たちに対して、息子は翌日保育園で会ったときにどう言うんだろう。「怖かったから」なんて、恥ずかしくて言えないんじゃないか。

人間、生きていて困るのはだいたいそこだ。

「怖がりである」その事実は大して困るようなことじゃない。

問題は、そういう個人の感情をいかに説明して人と分かち合うかだということは多い。

表明せずに心にしまうという方法ももちろんあるとは思うが、この場合、私としては子には「共感」を推奨したい。

じゃまになるのはプライドとか、意地とか、恥ずかしいこころもちだろう。そこを息子は乗り越えられるのか。

翌日、保育園の帰りにどうしてもそこを確かめたくなってしまった。どう聞いたらいいか迷ったが、自転車をこぎながら後部座席の息子にそれとなくさらっと、けれどズバッと聞いてみた。

「お友達にさー、昨日なんで早く帰ったのか聞かれなかった?」
「聞かれたよー」
「なんて答えたの?」

「ゾンビのお面が怖かったからって答えた」

あ、そうなんだ!

素直なんだ。そうか、子どもってそうなのか。

いやしかし、これから大きくなると、そうそう素直ではいられなくなるかもしれない。

そういうときにこの話をしたら、無害な素直さが生きやすさにつながるといことをうまく伝えられるかなー。

その息子、服のタグのことを「旗」と呼ぶ。

なるほど、旗だなーと思う。

一方そのころ娘は、声をかけると「うん」というようになった。

「お風呂はいろっか」
「うん」

「まだなんか食べたいの?」
「うん」

いままで「あいっ!」と返事をすることはあったが、「うん」はまたおもむきが違って、コミュニケーションをしっかりとれてる手ごたえを感じます。

あと、私の髪の毛を食いちぎりながら寝付くという奇習は卒業し、いまは私の髪の毛を足の裏でなでながら寝るようになりました。

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2011/10/28

さすが人間

朝、台所で作業をしていたら居間でごろごろしていた息子が「ねえ」という。

「手に小さい葉っぱがついてて取ろうとしても取れないんだよう」

どれと見ると、手の皮がほんのちょっとだけむけてぴらぴらしているのだった。

葉っぱ?! これが?!

はっとして息子の顔と手を見比べるが、息子は真剣だ。

「あのさ、これは、手なんだよ」おそるおそる教えてやった。

「え」
「手とか体には皮が付いていて、毎日少しずつはがれてるんだ。たまにペロッとむけるときがあるんだよ」

すると息子は「えー、そうなのー」と言って照れたように「えへへ」笑ってどっかへ行った。

なんで照れたかというと多分、私の対応に「人体においてすごく基本的な、こんなことも分からないんだ!」という空気が隠しきれていなかったからだと思う。



「そんなことも分からないのか」という言葉は、おっさんが若者をどなるときの定型文としての印象が強い。

「そんなことも分からないのかッ!」という強い調子だ。

子どもとどうってことない時間をのろのろ過ごしていると、その「そんなことも分からないのか」という言葉が頭に浮かぶことがたまにある。

でもそれは「そんなことも分からないのかぁ……!」という、感心と発見がいりまじるような、おっさんの怒号とは全く違う「そんなことも分からないのか」なのだ。



息子のことばかり書いているので娘のことも書いておこうかね。

最近テレビや絵本に食べ物が書いてあると、それをつまんで口にはこんで「もぐもぐ」と口を動かすことが多い。

「食べごっこ」だ。

そのことを保育園の連絡帳に書いたところ、保育士の先生から返事があった。

「園でも、保育室に張ってあるライオンやカバの写真をつまんで口をもぐもぐさせていることがよくあります」

さすが人間。

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2011/10/21

怖がりすぎて気の毒

久しぶりにぼつぼつブログを書いた今週です。しかしまあ子どものことくらいしか書くことがないものだ。

あ、そうだ、子ども以外に書くことあった!
以前仕事で使ったでかい壺、会社に置いておいたが、自宅に迎え入れることになった。
でかい壺がある人生が始まろうとしています。

Todoku

……。終わり。

では、子どもの話をしていいですか。

昨晩、夜の寝かしつけの際の私と息子のものがたりです。

息子はすごく怖がりで、とにかくオバケが嫌いだ。
物心がはっきりつき始め(いま4歳です)、怖がりにもいよいよ腰が入ってきている。

先日は近所の高校の文化祭を冷やかしに行くも、入り口で「オバケ屋敷」の宣伝部隊とすれ違ってしまい、結局校舎に入ることができなかったくらいだ。

昨日は夜、少し寝るのが遅くなってしまった。

息子は夜遅くなるとオバケがまだ寝ていない子どもさらいに来るというのを信じている(せなけいこ著「ねないこだれだ」参照)。

だから夜になると「おばけ、来る?」と聞いてくる。

いつもは「まだ大丈夫だよ」と言ってやるのだが、昨日は私も仕事があったりでバタバタしていたので「うん、そろそろ寝ないと来ちゃうよ、おばけ」と言ってしまったのだった。

「!」という表現があるが、そのときの息子の顔はまさに「!」だった。

「おばけ、来る!」と思って完全にびびりスイッチが入った、「!」。

そうして泣きながら「こわい~~、こわい~~」と怖がりだした。全身で全力で素直に怖がっている。そんな人初めてみたよ(大人は怖くてもあからさまには怖がらないもんね)。

そして、そんな怖がる人を見るとどうなるかというと、「気の毒になってくる」のだった。

あわてて「大丈夫だよ、オバケまだ来ないよ!」というのだが、息子の中ではオバケが来ることが確定したようで「大丈夫」を頑として受け入れない。

「オバケは来ないよ」
「でも、さっきお母さん来るって言った~」
「来ないことにしたみたいだよ」
「でも、来るかもしれない~」
「『おばけのアッチ』みたいな優しいオバケだから大丈夫だよ」
「アッチもときどき怖い顔になるんだよ~」
「でも、フォーゼ(仮面ライダー)がやっつけてくれるから大丈夫だよ」
「フォーゼの武器のビリビリでぼくが死ぬよ~」
「逃げれば大丈夫だよ」
「逃げてお外にいる間に、お家が壊れちゃうよ~」
「じゃあ、お家が壊れないように、お父さんにオバケを怒ってもらおうよ」
「そんなことしたら お父さんが死ぬよ~」
「寝てればお化けはつれていかないよ」
「ぼくは大丈夫でもコウ(娘)ちゃんが寝ないから死ぬよ~」

どうなっても息子は家族もろともオバケに滅ぼされるシナリオしか書けないようで、怖がりを脅かしてはいけないのだと肝に命じた。

(最後は空気を読まない下の娘がじゃれついてきて、場がぐだぐだになり、そのまま寝てくれたのでよかった)

今朝になって「お母さんも知らなかったんだけど、いろいろ本とか読んで調べたらオバケって、いないんだって!」といったら、息子すごい喜んでました。

  

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2011/10/18

面倒と尊厳の間で

おもいだしたこと

このあいだの週末、家で家族でだらだらしていたとき。息子が急に「うんち!」とあわててトイレにかけだした。

かけだしたが間に合わない! とちょっとしたパニックになったようで、べそをかいてジタバタし始めている。

これはまずいぞと思ったところ、私より早く息子にかけよった夫が、なんとその場でまず息子のズボンとパンツを脱がせたのだった。

えっ、どうすんの?

と、思った次の瞬間、夫は自分の手で息子の肛門を押さえ、その状態で息子を担いでトイレに駆け込んだのだった。

間一髪間に合ったようで事なきを得たが、いきなり息子のパンツとズボンを脱がすという選択肢は私にはなく、あまりにも意外だった。

夫としてもとっさの判断だったようで「ズボンとパンツを汚したら面倒だと思ったから」ということだった。確かに面倒だが、その代償は自分の手なのだ。

ときに育児が「面倒」と「尊厳」の間で揺れ動くものなのだということを再確認した。

息子が寝るときに着ているパジャマが、洗濯の流れから下が真っ黒なスエットで上が真っ赤なTシャツという組み合わせになっていた(※)。

ちょっとない色合いでシルエットは太極拳っぽく、部屋着としてなかなか斬新なことになっていた。

※黒のスエットは本来別のパジャマの組み合わせだったもので、赤いTシャツは母と幼なじみの家のおじさんの合同還暦パーティーでみんなでおそろいで着たものなのでした。

※そういえばあのときは16人でみんなで赤いTシャツを着たんだなあ。

部屋着といえば私はトラの絵のTシャツをよく着ていて、これを見ると娘は低く唸る。「ゥゥ~、ガゥ~」という具合。威嚇しているらしい。

のどの奥をぎゅっとつぶすように低く搾り出す声はなかなか本格的だ。

絵本のライオンのイラストなどを見ても同様に威嚇する。娘はとら年でしし座なので、猛獣としてのスジはいい方なんじゃないかと思っています。

仕事で使うということが判明したので、びびりまくりながらいよいよiOS5を入れた。

昨日バックアップを取る段階でいきなりアプリ数種類が消えるという目にあっていたおかげで、おおきなトラブルもなく入れられた。軽く痛い目を見ておくのは、もしかしたらすごく大事なことなのかもしれないぞ。

夕方

帰り際カルディに寄った。ハロウィンのお菓子が今年は例年に比べて一段とかわいい気がするのだけど、毎年こうだったかな。でも買ったのはEUROHOPだけです。

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2011/10/17

妖怪髪喰い

ラジオ体操をしている。

今年の5月くらいからはじめて、ちょっと毎日続けちゃったらやめるのが恐ろしくなってしまった。引っ込みがつかなくなった。土日祝日を除いて毎日やっててさすがに最近まじめすぎやしないかと不安だ。

このまま毎日つづけるのだろうか。一生なのかな。

4歳の息子がたまに外まで出て出勤する私を見送ってくれる。

そういうときは、

家から出て最初の角を曲がったところで私が角から上半身をゆすっ

て出たり入ったりして、3回くらいやって、最後に「じゃあね、

これが最後だからねー」といって去る。

去ったあと、

角からサッと出てくる私を期待して息子が見守っているのではない

かと思ってしょんぼりしながらトコトコ駅に向かうことが多いので

、今日は「これで終わりだから、お家入りなー」

といったら何も言わずに家にサッと入っていってしまって余計しょ

んぼりした。トコトコ駅に向かった。

iOS5へのアップデートが、

いろいろと噂を聞くにつけ怖くてできなかったが、

いよいよやらねばならない、

その前にしっかり同期をとっておこう。

年には念を入れて自宅だけでなく会社のパソコンにも同期を取るべ

く作業はじめたら、

まだアップデートには着手していないにもかかわらず何種類かアプリがなくなった。

不器用!

下の娘は、私の髪をさわって、なめて、しまいに食いちぎりながら寝る。たぶん妖怪なんだと思う。

食いちぎったあげく、もう眠たくなってうとうとしながら「髪が口に入るとと1本でもすごい気になってきもちわるいよね~」みたいな感じで口をもごもご動かしたり舌をぺろぺろ出している。

自分で食べたくせに!

小さな子どもは自由だ、とはよくいうが、髪をむさぼり食って、食った髪を気持ち悪がるって、せっかくの自由の無駄づかいにもほどがあるだろうよ。

妖怪は、結局食べた髪の毛が吐き出せず口をもごもごしたまま寝る。

デイリーポータルZで記事を書きました。

セレブが来た!
http://portal.nifty.com/kiji/111014148921_1.htm

セレブスナップを撮る記事です。撮影は同僚の安藤昌教さんで、主に安藤さんがすごいという記事ですわ。

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2011/09/13

母になる

もう2ヶ月前の話になってしまったが、息子が4歳になった。

誕生日に義父母宅の近所の不二家につれていってもらったのだが、そこでバースデーサービスの写真撮影があった。

店員さんがデジカメで写真を撮って、その場でプリントしてくれるという。

電子音を出して踊るペコちゃんに、陶器のケーキに座るペコちゃん(ケーキにはろうそくを立てて火をつけてくれる)、だめ押しにほぼ等身大ではないかというでかいペコちゃんぬいぐるみがぐるり子どもを取り囲んでの撮影だ。

息子は照れ屋で本番に弱い。当然ヒャーっとなって下を向いてしまった。

困る店員さん。気を引こうとする祖父母。

で、このときの私の言葉が、後から考えると、ああ私の母としての4年間の集大成のように思えるのだ。

「上向かないと終わんないよ!」

と、こう言ったんである。

誕生日を祝うことに付随する強引さ、楽しいことを無理やりやらせるという「ちょっと変」な感じ、でも言う瞬発力、まとめてまるっと“母”っぽい。

母という生き物を感じて、それが恐ろしくもなんともなく淡々としていて私にとっては自然で特別感想もなく、ただ静かに私も母4歳なのだと思う。

息子はしぶしぶ顔を上げた。

0717

そんな息子が「ぱーいのぱーいのぴ」を食べてみたいんだよう、という。

なんだ「ぱーいのぱーいのぴ」って。

話を聞くとどうやら「パイの実」のことのようだ。このCMをみて、「パイの実」の商品名を「ぱーいのぱーいのぴ」だと思ったらしい。

おもしろいなと思ったのだが、つい「ああ、パイの実ね」と言ってしまったので本当の商品名がバレてしまった。

と、上の子どもの話ばかりですが、下のむすめも元気に1歳になったのだった。

すごい勢いで勝手に成長しています。2人目の成長の早さは噂に聞いていたが、これほどとは。

まだ喋ることができない娘には当然アテレコをする。

「女の子として許されないことよ!」とか
「みくびらないで!」とか喋らせてる。

上が男だったということもあり喋らせる言葉が全部オネエ風になってしまって楽しい。

でもまたむすめもすぐ喋れるようになってアテレコもできなくなるのよねっ。考えるだけで寂しくなっちゃうわ~。

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2011/04/25

3歳のパンツ、64歳のパンツ

生きてる人にとってパンツというのはもうほとんど空気といっていいと思う。
絶対にそこにあるものだ。

ノーパンという言葉があるのは、パンツがそこにあるという前提で生きているからこそ「ノー」の場合に「ノー」だと断る必要があるんだろう。
あらかじめの断りがない限りはもう絶対的に人はパンツなのだ。

ただし、これは大人の世界だけの常識だった。

大人の常識が、かなりハードルの低い常識でさえ子どもに通用しないということは知っているつもりだったが、パンツですら子どもにとっては常識外のようだ。

3歳の息子は、うっかりするとパンツを脱ぐ。
ズボンと一緒にズバッと脱ぐ。

ズバッと脱いで、ぬいだまま鼻歌交じりにノーパンのままズボンを履く。

パジャマから洋服に着替えたり、トイレで一旦ズボンとパンツを脱いだときなんかに顕著にそういう行動が見られる。

そうして、ノーパンでまた鼻歌交じりに横になってテレビを見ていたりするのだ。

先日、私の実家に帰っていたときのこと。いつものように横になってテレビを眺めている息子に父(息子にとっての祖父)が言った。

「おい、おまえパンツはいてないんじゃないか?」

父は息子が着替えの後に脱いだパジャマのズボンの中にパンツも一緒に脱げいているのを見つけたらしい。

息子は「え?」といってズボンをめくって確認して「うん、はいてないや」と答えていた。

はいてないのだ。パンツを。そして、それを目視で確認しなければはいていないかどうなのか答えられないのだ。

どうだろう、このパンツに対する認識の薄さ、彼の中でのパンツの重要性の余りの低さは。

引き換え、パジャマの中にパンツが脱げていることに一目でハッと気づき、つまりうちの孫は今パンツを履いていないのではないかと気づいた父64歳のパンツに対する意識の高さもまた息子と対照的だ。

息子にとってパンツが生きることに付随するデフォルトではないということについては、ちょうど1年くらい前に気づいた。あっ! となった。

息子の保育園では月に一度、身体測定を実施している。子どもはそれを「大きくなったかなの日」と呼んでいるようで、息子もその日「今日は大きくなったかなの日だったんだよー」と教えてくれた。

身体測定といえば、服を脱ぐ。そこで息子のこの発言だ。

「大きくなったかなを調べるときはね、服を脱ぐんだよ。でもね、パンツは脱いじゃダメなんだよ」

そうなのだ。「パンツは脱いじゃダメですよ」とわざわざ言われなければパンツを脱ぐ人々なのだ子どもというのは。

もう一ヶ月も前の話になってしまったが、すごいことだったので書いておこう。

3月の連休に名古屋に行った。義祖母の家に泊まったのだが、そこで「ご近所にもらった」といって出てきたあんころ餅のあんこのレベルの高さがちょっと半端じゃないくらい高かった。

あんこは「甘い」「そんなに甘くない」「しょっぱい」「品がある」「田舎っぽい」などいろいろと物語る尺度がある食べ物だが、そのもろもろの尺度を全部差し置いてただただ「おいしい」といえるあんこだったのですよ!

やっぱり名古屋はあんこ慣れしてるんだなあ。できれば夏も名古屋に行こう。

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2011/03/29

グミ

私の住む日本が大変なことになってしまった。

「私たち」の住む日本が、と書かないと不謹慎みたいな気持ちに危うくなるくらいなんだから、なんだかすごいことになってる。

まさかの事態だ。

こういうとき、このブログのような何か特別な目的もなく文章を見える場所に書くということをどうすればいいのかちょっと分からない。

今日はグミについて書こうと思う。

どうすればいいのか分からないからグミについて書くというのもあるし、そもそも私はいま、まっさらな自分の希望としてグミについて書きたいのだ。

息子はグミが好きだ。

クッキーも、プリンも、ホットケーキも、アイスクリームも(息子はアイスを律儀にアイスクリームと呼ぶ。おじいちゃんぽい)、ドーナツも、あと、ソーセージも、ハンバーグも、ハムも、肉全部も、塩鮭も、何しろ食べ物が好きなので、全部好きだけど、グミも好きだ。

私たち母子の間では、風邪をひいたときにだけ特別にプリンを食べようということになんとなくなっていて、それと双璧というような感じで、何いいことがあったらグミを食べようということになっている。

だからグミは、その辺がハムとか油揚げとかほかの好きな食べ物と違う。

この間、息子には祖母にあたる私の母がスーパーで小袋が5連になっているタイプのグミを買ってくれた。

息子はそれを食べるのが楽しみで楽しみで、5種類のフルーツの味があるなかでブドウ味を1袋開けて朝食の後に少し食べ、全部食べるのは多いですという私の進言のもと、残りは保育園から帰ってきた後で食べるのだとゼムクリップで袋の口を閉じてとっておくことになった。

保育園に行く間もずいぶん楽しみにしている様子なので、夕方、迎えに行くときにそのグミを持っていった。

自転車の後ろに乗り、風でとばされるといけないからといってポケットに入れたグミをしっかりつかんで(ポケットに手を突っ込んだ状態)で帰ってきた。

帰ってきてすぐと、夕食後に分けて食べ終えた。

食べ終わった息子の口がすごくブドウのいいにおいだったので、これはと思ってカラになった小袋のにおいをかいだらいいにおいだった。

「ねえ、これすごいいいにおいするよ!」と教えてやったら、寝る前までかいでいて、わたしも何度かかぎました。

名古屋の祖母(息子にとっての曾祖母)も、息子にグミを買ってくれた。筒に小さなグミが入っているタイプのもので、祖母宅のテレビの前に立てて食後に少しずつ食べていた。

少しずつ、少しずつ食べていた。

すっと、家族の寝室として借りていた仏間に入ったら、息子が急いで散らばったグミを筒に戻そうとしている。

どうしたのだろうと思ってグミを見ると、べっちょりぬれている。

どうも、すこしずつ食べるのではなく本当に一気にたくさん食べたかったらしい。

私にかくれてザラザラーっと口の中に流しこんだところで私が現れたので、あわてて口から出して筒に戻そうとしていたのだった。

なんだかこちらもあわてて、「そ、そんなに食べたいんだったら食べなよ!」と、急いでべちょべちょのグミを洗って息子の口に流し込んでやった。

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