実験、一杯の納豆ご飯
先日、実験をした。
この結果が私としてはちょっとしたアハ体験だったのでご紹介したい。
と、その前に。家事の中でもかなりのウェイトを占める炊事だが、各ご家庭での担当具合というのはどんなものなんだろう。
うちの炊事に関しては、監督兼1軍選手が私で3軍選手が夫、戦力外が2人の子どもたちといったところか。
主に私が炊事をして、たまに「ちょっと○○作ってくれませんかね」とお願いすればやさしい夫がやってくれるという感じです。
監督は私なので、炊事を休むのも私次第で休み放題だ。出来合いものを買ってきてもいいし、外食をしてもいい。
ただし、「今日は出来合い!」、「今日は○○へ食べに行く!」という決断は自身で下さなければならない。この決断は管理下である食費を守るため勇気と体力を要する決断となる。
そうなのだ。我が家は全員食いしん坊にもかかわらず、「○○へ食べに行きたい~」「○○が食べたい~~」という希望が上がってこない、基本監督絶対の指示待ちチームなのだった。
この状況に対し監督として不満ではないが、多少の刺激があってもいい、もう少し選手の声を聞きたい。って、ただ普通にもっとはっきり食べたいもの言ってくれたりしたら楽なのになあと思っていたわけです。
さて実験である。
ある休日の昼。食事を納豆ご飯1杯にしてみた。
食卓に家族人数分のお茶碗に盛られた納豆ご飯。以上。
私一人の食卓だったら珍しくはない光景だが、休日の、しかも今まさに成長せんとする小さな子どももいる家族4人の食卓である。これにはさすがに指揮系統が崩壊するのではないか。
予想した反応はこうだ。
(1)4歳の息子:「ほかにもなにか食べたいと要求する」
(2)1歳の娘:「同様に泣く」もしくは「ハンスト」
(3)夫:「ほかにもなにか食べたいと要求する」もしくは「自身でなにか調理する」
監督という存在を欲求や自主性が超えていく、そんなイノベーションよ起これ。期待をこめての一杯の納豆ご飯である!
結果、こうなった。
(1)4歳の息子:「これだけ?」と聞くので「うん、これだけ」と言ったら「そうなんだー」と食べた
(2)1歳の娘:ただ食べた
しまった。そういえば小さな子どもというのは状況に疑問を呈するということをまだ知らないのだった。目前の状況はすべて受け入れるのが子どもなのだ。
しかし夫だ。大人の夫が残っている。
(3)夫:「もう一杯食べてもいい?」
そうきたか!
考えてみれば当たり前の返しだが、私の頭では想像できなかった答えだった。ちょっとしたアハ体験である。だって、ほかに何か食べなくちゃ栄養とかいろいろあるじゃんか。
気持ちとしてはそうだな、監督の指示通り動いた選手によるオウンゴールが決まった、という感じだろうか。
このチームにはやはり監督がいるようだ。
地球には私が必要。それを確認させてくれてありがとう。
そうして監督は3軍選手に急遽カボチャをふかすよう指示、さらにミカンを出してビタミンを補給した。
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