2012/04/29

子どもとの会話2つ

娘とはじめて言葉でやり取りをした。

よわい雨が降っていたので、レインコートを着て保育園に子どもたちを迎えに行った。
保育士の先生から引渡しがあって、出入り口からよちよち出てきた娘がレインコートを着た私を見て言ったのだ「あめ」。

「うん、ちらちら降ってるよ」ととっさに答えたら、娘はうなずいた(娘は小さいころからうなずくという意思表示が得意だ)。

おっ、なんか今の「やり取り」だったな、と思った。

動物の名前をやたらに覚えるところから始まって、このところ娘もずいぶん話すようになった。

いわゆる二語文「ぞうさん、いっぱい」とか「にーに(お兄ちゃん)、いない」も出初めていたが、あまり言葉でやり取りをしているなあと実感したことはなかったのだった。

「ぞうさん、いっぱい」と言われたら「そうだね、ぞうさんいっぱいだね」という具合でこちらは繰り返すだけなので(「だけ」とはいえ嬉しいやりとりではあるのですが)、コミュニケーションというよりも娘の確認作業に立ち会っているという気持ちでいたのだ。

リクエストも身振り手振りではなくずいぶん言葉をつなげて言うようになったが「おかーさん! ねないー! おきてー! だっこー!」これも、やり取りというよりは、ああ、素直な希望を述べとるのう、くらいのものだった。

「あめ」「うん、ちらちら降ってるよ」(こくん)

語数は少なくても、娘とやりとりをしたとはっきり感じたのだ。

4歳の方の息子は言葉で会話するようになってもうずいぶんたつ。もちろん、息子にはまだまだ知らない口語のパターンも多い。

このあいだ家で息子がハンバーガー屋さんをはじめた。

「いらっしゃいませー」というので「こんにちはー、チーズバーガー1つください」と付き合う。にこにこ。

「100円です!」「おっ、安いですね、はい、100円」にこにこ。

「カードはおもちですか?」「はいはい、持ってますよ」しーん。

息子の顔が曇った。あれ、なんか変なこと言ったかなと思い言い直してみる。

「すみません、やっぱりカード、持っていませんでした。作ってくれますか?」しーん。息子の顔は晴れない。どころか、泣きそうになっている。

で、泣いた。

ええ?! だ。「カードはおもちですか?」って聞かれたから「持ってます」って(もしくは「持ってません」って)言っただけなのに。

聞いてみると、息子としては「カードはお持ちですか?」といわれたら「はい、ください」と言って欲しかったのだという。そういうシーンを実際にお店で見たそうだ。

うーむ。まだ泣く息子に、「カードはお持ちですか?」じゃなくて「カードをお持ちになりますか?」って言えば「はい、ください」って返事になるよ、ということを伝えた。

息子はぽかんとしていたが、そのうち別の遊びをはじめた。

2週間くらいして、また家で息子が今度はパン屋さんをはじめた。

「いらっしゃいませー」「こんにちはー、メロンパン3つください」にこにこ。

「100円です!」「おっ、安いですね、はい、100円」にこにこ。

ここで一瞬息子が真顔になった。短い間だったが、普段子どもの機微や感性などに一切鈍感な私も気づくほどの真顔だった。

「カードをお持ちになりますか?」にこにこ。

あっ!

「はい、ください!」にこにこ!

私の「はい、ください!」を聞いて息子は、はっと息をはいた。

レジからピッピッとキーを押してカードを出して(出すふりをして)渡してくれた。

「最初っからこういえばよかったのかー」といって、にこにこした。私はにこにこじゃ足りなくて少し声を出して笑ったよ。

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2012/04/10

「○○ちゃんママ」のなぞについての見解

ここのところなんだかまあ取り立てて書くこともないような日々を送っておりました。たぶんいろいろあるんだろうけど、ぼんやり暮らしているので気づかないという、困ったことです。

なので、今日はなぜ小さい子を持つ母親同士がお互いを「○○ちゃんママ」と呼び合うのかについて、母になって4年半がたった今現在でわかったところをまとめてみようと思います! バリーン!(目の前にあった皿を叩き割って気合を入れた!)

「『○○ちゃんママ』呼び」といえば、女性が母になることでアイデンティティを失い、子を自らのアイデンティティとして生きること、の象徴みたいに言われたのはもう昔のことだろうか。でも今でもきっとそういうイメージありますよね。

そういうネガティブな理屈がなくても、そもそも呼び名としてどこか不自然で滑稽なものであると思う。

それなのに、なんで「○○ちゃんママ」と呼び合うようになってしまうのか。

母親同士のコミュニティによっていろいろあるとは思うが今のところの私の結論は、まだ親離れをしていない子どもから始まるコミュニケーションに親が間接的に付き合う必要があるから、だと思っている。

子どもがまだ小さいうちは、子ども同士のコミュニケーションに親がかかわらざるを得ない。ただしコミュニケーション自体は子から発生しているので親同士はすぐにはお互いの名前がわからない。

名前がわからないけれど、子ども同士はいきなりディープなコミュニケーションを繰り広げるため(傷害、窃盗、疫病の交換などなど)、親同士は名前がわからない相手となかなかに際どく相対す必要が出てくる。

名前がわからない人と、自己紹介をしあうヒマもなくお互いをきちんと認識しながら会話する必要に迫られるという特異な状況にさらされるのである。

ここで「○○ちゃんママ」が登場するというわけだ。これなら子どもの名前さえわかっていればなんとか呼び合える(さらに「このコミュニケーションは子あってのものですよ」というアピールも場合によってはあるかもしれない。かなりレアケースかもしれないけど)。

私は子ども2人を保育園に入れているのだが、保育園に子を通わせるお母さん同士というのはなかなかじっくり自己紹介などするのが難しい。子どもの名前はすぐわかるけれど、苗字がパッと出てこない上にお母さんの下の名前を教えあうとなると下手すると1年くらいかかったりしてしまう。
ここでも結局伝家の宝刀「○○ちゃんママ」が便宜的に使われることになる。

便利なのは、この呼び名が子どもに非常に伝わりやすいということなのだ。

「○○ちゃんのママも一緒に来るよ」
「それは、○○ちゃんのママが、○○ちゃんに言ってくれるって」

幼児の頭にもするする入る! 申し訳ないが、使うっきゃない呼び名なのだった。

上のようにこの呼び名が便利なのは「子どもから始まるコミュニケーションに間接的に付き合う必要がある」場合である。

それ以外の場合に進んで親同士が「○○ちゃんママ」と呼び合うことはおおむね、ない。

たとえば、子どもを生んだばかりの新生児の母親同士の交流会というものが地域ではよく行われるが、そういう場では母親同士は苗字で呼び合うことが多い。

こういう集まりはそもそも子ども同士のコミュニケーションではなく(子どもは小さすぎてまだ互いにコミュニケーションが取れない)、親同士でコミュニケーションをとるためにセッティングされているので、子どもよりも先に親同士が自己紹介をしあう。たいてい最初は苗字で呼び合うことが多いように思う。

(あと、私の周りでは子どもを生んですぐはまだみんな「○○ちゃんママ」という呼び名にアレルギーのある人が多かった。私もそうだった。できるだけそう呼び合わないようにという暗黙の了解が母同士に確実にあった)


おもしろいなと思ったのはここから先で、結果的に親同士が仲良くなって、親同士が友人になったときの呼び名なのだ。

つまり「○○ちゃんママ」の先にある呼び名である。

家族ぐるみの付き合いなので苗字だと子どもや夫と混ざってしまう。

結果、名前にちゃんづけで呼び合うことが多いんだ。そうなんだよ。現実、私は「ちかちゃん」と呼ばれている。

中学高校では「こがっち」、学生時代は「ちかこ」と呼ばれていた私、ちゃん付けで呼ばれるのは実に20年ぶりである。

さらになぜかただの「○○ちゃん」からあだ名に発展するケースも多いのだ。

私は今や、あやぱん、あきぽん、ゆみちん、まっちー、けいと、ちさってぃー、ゆかりーぬ、さえ丸たちと仲良く子育てしている。

小3か。

(全員オーバーサーティーです)

※そういえば、犬の飼い主同士も「犬の名前+ママ」などと呼び合うと聞いたが、これもやはり「犬から始まるコミュニケーションに間接的に付き合う必要がある」からではないか。

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2012/03/02

なんで今日の朝はこんなにまぶしいの

息子と私がインフルエンザにかかった一方で娘がインフルエンザとは関係のない風邪をひいた。

お互いがお互いに病気をうつしあってトレードするのだけはなんとか避けようと、私と息子は寝室ではなく居間に寝ることにした。

朝、私が先に起きて炊事をしていると息子が起きてきた。目をぱちぱちさせている。

「ねえ、なんで今日の朝はこんなにまぶしいの」といった。

居間はいつもの寝室よりも少し多く日が入る。

常套句だとか当たり前としてまかり通っている表現はとりあえず疑問視しておこうというのがこのインターネット文化圏だ。「子どもの発想はすばらしい」とか「子どもっておもしろい」なんて無防備に言うのは気が引ける。でも、

「ねえ、なんで今日の朝はこんなにまぶしいの」

と言ってしまう、世界の意味の分かってなさにはときめかざるを得なかった。

基本的には子どもよりも大人の発想のほうがずっとすばらしいと思うし、大人のほうがぜんぜんおもしろいと思う。

子どもは、おもしろいというか先述のように思いもよらず人をときめかせるところがあったり、大人にとってのサプライズがあるのでハッとさせられることは、これは確かにすごく多い。

でも笑いのレベルで言えば「うんこ」一発で大爆笑くらいのレベルだし、そんなやつらを手放しにおもしろいとは言いたくないぞ。

「うんこ」といえば、夫は息子が妹の世話や保育園での生活でがんばっているなあ、ちょっと無理しているのかなあ、と思うところがあると、接待的に「うんこぶー」、「おならぴー」など言ってやるのだそうだ。

起きる爆笑とこぼれるリラックスした笑顔。そのとき夫は、息子をなによりも喜ばせられているように感じるという。

とんでもない安さで効率的に接待できている。

このあいだ、すごくかっこいいカバンがかっこいいお店でかっこいい店員さんによって思ったより安値で売られていてこれは完全に買いだろうと思った。

のだけど「で、このカバン、手提げだけじゃなくてショルダーになるんですよー」っていって店員さんがカバンのなかから長い紐みたいの出して取り付けてくれて、なんだか一気にさめてしまったのだった。

ツーウェイかよ! って。

二通りに使えるのはすごい良いことだけれど、「ツーウェイ」という名前のどこからともなく沸くがっかりさはどうにもならない……。

「リバーシブル」も正直「リバーシブル(笑)」と「(笑)」がつくところだが、この「(笑)」を超える利便性がリバーシブルにはあるように思う。

「ツーウェイ」ってそんなにがっかりワードでもないですかね。みんなどうだろう。

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2012/01/31

実験、一杯の納豆ご飯

先日、実験をした。
この結果が私としてはちょっとしたアハ体験だったのでご紹介したい。

と、その前に。家事の中でもかなりのウェイトを占める炊事だが、各ご家庭での担当具合というのはどんなものなんだろう。

うちの炊事に関しては、監督兼1軍選手が私で3軍選手が夫、戦力外が2人の子どもたちといったところか。

主に私が炊事をして、たまに「ちょっと○○作ってくれませんかね」とお願いすればやさしい夫がやってくれるという感じです。

監督は私なので、炊事を休むのも私次第で休み放題だ。出来合いものを買ってきてもいいし、外食をしてもいい。

ただし、「今日は出来合い!」、「今日は○○へ食べに行く!」という決断は自身で下さなければならない。この決断は管理下である食費を守るため勇気と体力を要する決断となる。

そうなのだ。我が家は全員食いしん坊にもかかわらず、「○○へ食べに行きたい~」「○○が食べたい~~」という希望が上がってこない、基本監督絶対の指示待ちチームなのだった。

この状況に対し監督として不満ではないが、多少の刺激があってもいい、もう少し選手の声を聞きたい。って、ただ普通にもっとはっきり食べたいもの言ってくれたりしたら楽なのになあと思っていたわけです。

さて実験である。

ある休日の昼。食事を納豆ご飯1杯にしてみた。

食卓に家族人数分のお茶碗に盛られた納豆ご飯。以上。

私一人の食卓だったら珍しくはない光景だが、休日の、しかも今まさに成長せんとする小さな子どももいる家族4人の食卓である。これにはさすがに指揮系統が崩壊するのではないか。

予想した反応はこうだ。

(1)4歳の息子:「ほかにもなにか食べたいと要求する」
(2)1歳の娘:「同様に泣く」もしくは「ハンスト」
(3)夫:「ほかにもなにか食べたいと要求する」もしくは「自身でなにか調理する」

監督という存在を欲求や自主性が超えていく、そんなイノベーションよ起これ。期待をこめての一杯の納豆ご飯である!

結果、こうなった。

(1)4歳の息子:「これだけ?」と聞くので「うん、これだけ」と言ったら「そうなんだー」と食べた
(2)1歳の娘:ただ食べた

しまった。そういえば小さな子どもというのは状況に疑問を呈するということをまだ知らないのだった。目前の状況はすべて受け入れるのが子どもなのだ。

しかし夫だ。大人の夫が残っている。


(3)夫:「もう一杯食べてもいい?」

そうきたか!

考えてみれば当たり前の返しだが、私の頭では想像できなかった答えだった。ちょっとしたアハ体験である。だって、ほかに何か食べなくちゃ栄養とかいろいろあるじゃんか。

気持ちとしてはそうだな、監督の指示通り動いた選手によるオウンゴールが決まった、という感じだろうか。

このチームにはやはり監督がいるようだ。
地球には私が必要。それを確認させてくれてありがとう。

そうして監督は3軍選手に急遽カボチャをふかすよう指示、さらにミカンを出してビタミンを補給した。

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2012/01/17

きのうの夜

息子が夜中おきだして、寝ぼけたように「おかあさん、おかあさん」と布団の上を探し回っている。

探す様子はほとんど「めがね、めがね」と同じで、布団の上に転がっている小さなおかあさんを探しているような格好になっていた。

「おーい、ここにいるぞー」と声をかけたら、「おお」といって隣まではってきて寝た。

その騒ぎで入れ替わりで下の娘が起きた。

めそめそ泣いているので今度は私がさきほどの息子のようにはって娘の隣にいき、背中をとんとんたたいてやる。

娘はいつも、私の髪を手で引っ張ったり口にもっていってなめたり、かなり無理な体勢になりながら足の裏で(私の)髪の毛をなでながら寝つく。

この日もずいぶん髪をひっぱられた。何本かむしられてうろたえた(私は産後の脱毛で抜けた髪が戻らず毛がだいぶ薄い)。

娘が寝たので自分の持ち場に戻って少し本でも読もうかと夫が図書館で借りてきた東海林さだおと赤瀬川源平の「軽老モーロー会議中」を開いた。

東海林さだおが海外から高濃度のミノキシジルを含む育毛剤を取り寄せて使っていると書いてある。私も欲しいと思いながら寝た。

ぼんやりしていたら2011年が終わって2012年になっていました!
今年もぼちぼちこちらに書いていきます。

Twitterにもたまにツイートしています(@eatmorecakes)。
(Twitterがこんなに太いサービスになるとは思わずへんなアカウントで後悔しきり)

デイリーポータルZは隔週で月曜日に書いています。

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2011/11/04

服のタグを旗という

怖がりとして家族内では大変に有名な息子だ。ハロウィンパーティーを途中退場したのは、うん、まあそうだよね。くらいのものだった。

※子の親になると人は平気でハロウィンパーティーに行くのだ。どうだ、すごいだろう、ということは置いといて。

パーティーは息子の保育園のクラスメイトのご両親が経営するレストランの主催で、クラスの面々が仮装して集まるというもの。

そもそも、ハロウィンパーティーに行けた時点でたいしたものだと思う。
※まだハロウィン慣れしていない9月のころはハロウィンのディスプレイがしてある店には入れなかった。
※カボチャが「イーッヒッヒ」という顔をしているのが怖いんだよう、と言っていた。

パーティーの中盤でゾンビのマスクをかぶった子が会場を走り出しそこでギブアップとなったわけだけど、最初は友達とじゃれたり、あれこれ飲み食いして楽しんでいたのだから上出来だろう。

聞いて欲しいのはここからなんだ。

息子が怖がってパーティーを途中退場したとき、クラスの友達はなんで帰るのかが理解できず、「どうしたの?」「なんで?」と気にしてくれた子もいた。

そういう子たちに対して、息子は翌日保育園で会ったときにどう言うんだろう。「怖かったから」なんて、恥ずかしくて言えないんじゃないか。

人間、生きていて困るのはだいたいそこだ。

「怖がりである」その事実は大して困るようなことじゃない。

問題は、そういう個人の感情をいかに説明して人と分かち合うかだということは多い。

表明せずに心にしまうという方法ももちろんあるとは思うが、この場合、私としては子には「共感」を推奨したい。

じゃまになるのはプライドとか、意地とか、恥ずかしいこころもちだろう。そこを息子は乗り越えられるのか。

翌日、保育園の帰りにどうしてもそこを確かめたくなってしまった。どう聞いたらいいか迷ったが、自転車をこぎながら後部座席の息子にそれとなくさらっと、けれどズバッと聞いてみた。

「お友達にさー、昨日なんで早く帰ったのか聞かれなかった?」
「聞かれたよー」
「なんて答えたの?」

「ゾンビのお面が怖かったからって答えた」

あ、そうなんだ!

素直なんだ。そうか、子どもってそうなのか。

いやしかし、これから大きくなると、そうそう素直ではいられなくなるかもしれない。

そういうときにこの話をしたら、無害な素直さが生きやすさにつながるといことをうまく伝えられるかなー。

その息子、服のタグのことを「旗」と呼ぶ。

なるほど、旗だなーと思う。

一方そのころ娘は、声をかけると「うん」というようになった。

「お風呂はいろっか」
「うん」

「まだなんか食べたいの?」
「うん」

いままで「あいっ!」と返事をすることはあったが、「うん」はまたおもむきが違って、コミュニケーションをしっかりとれてる手ごたえを感じます。

あと、私の髪の毛を食いちぎりながら寝付くという奇習は卒業し、いまは私の髪の毛を足の裏でなでながら寝るようになりました。

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2011/10/28

さすが人間

朝、台所で作業をしていたら居間でごろごろしていた息子が「ねえ」という。

「手に小さい葉っぱがついてて取ろうとしても取れないんだよう」

どれと見ると、手の皮がほんのちょっとだけむけてぴらぴらしているのだった。

葉っぱ?! これが?!

はっとして息子の顔と手を見比べるが、息子は真剣だ。

「あのさ、これは、手なんだよ」おそるおそる教えてやった。

「え」
「手とか体には皮が付いていて、毎日少しずつはがれてるんだ。たまにペロッとむけるときがあるんだよ」

すると息子は「えー、そうなのー」と言って照れたように「えへへ」笑ってどっかへ行った。

なんで照れたかというと多分、私の対応に「人体においてすごく基本的な、こんなことも分からないんだ!」という空気が隠しきれていなかったからだと思う。



「そんなことも分からないのか」という言葉は、おっさんが若者をどなるときの定型文としての印象が強い。

「そんなことも分からないのかッ!」という強い調子だ。

子どもとどうってことない時間をのろのろ過ごしていると、その「そんなことも分からないのか」という言葉が頭に浮かぶことがたまにある。

でもそれは「そんなことも分からないのかぁ……!」という、感心と発見がいりまじるような、おっさんの怒号とは全く違う「そんなことも分からないのか」なのだ。



息子のことばかり書いているので娘のことも書いておこうかね。

最近テレビや絵本に食べ物が書いてあると、それをつまんで口にはこんで「もぐもぐ」と口を動かすことが多い。

「食べごっこ」だ。

そのことを保育園の連絡帳に書いたところ、保育士の先生から返事があった。

「園でも、保育室に張ってあるライオンやカバの写真をつまんで口をもぐもぐさせていることがよくあります」

さすが人間。

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2011/10/21

怖がりすぎて気の毒

久しぶりにぼつぼつブログを書いた今週です。しかしまあ子どものことくらいしか書くことがないものだ。

あ、そうだ、子ども以外に書くことあった!
以前仕事で使ったでかい壺、会社に置いておいたが、自宅に迎え入れることになった。
でかい壺がある人生が始まろうとしています。

Todoku

……。終わり。

では、子どもの話をしていいですか。

昨晩、夜の寝かしつけの際の私と息子のものがたりです。

息子はすごく怖がりで、とにかくオバケが嫌いだ。
物心がはっきりつき始め(いま4歳です)、怖がりにもいよいよ腰が入ってきている。

先日は近所の高校の文化祭を冷やかしに行くも、入り口で「オバケ屋敷」の宣伝部隊とすれ違ってしまい、結局校舎に入ることができなかったくらいだ。

昨日は夜、少し寝るのが遅くなってしまった。

息子は夜遅くなるとオバケがまだ寝ていない子どもさらいに来るというのを信じている(せなけいこ著「ねないこだれだ」参照)。

だから夜になると「おばけ、来る?」と聞いてくる。

いつもは「まだ大丈夫だよ」と言ってやるのだが、昨日は私も仕事があったりでバタバタしていたので「うん、そろそろ寝ないと来ちゃうよ、おばけ」と言ってしまったのだった。

「!」という表現があるが、そのときの息子の顔はまさに「!」だった。

「おばけ、来る!」と思って完全にびびりスイッチが入った、「!」。

そうして泣きながら「こわい~~、こわい~~」と怖がりだした。全身で全力で素直に怖がっている。そんな人初めてみたよ(大人は怖くてもあからさまには怖がらないもんね)。

そして、そんな怖がる人を見るとどうなるかというと、「気の毒になってくる」のだった。

あわてて「大丈夫だよ、オバケまだ来ないよ!」というのだが、息子の中ではオバケが来ることが確定したようで「大丈夫」を頑として受け入れない。

「オバケは来ないよ」
「でも、さっきお母さん来るって言った~」
「来ないことにしたみたいだよ」
「でも、来るかもしれない~」
「『おばけのアッチ』みたいな優しいオバケだから大丈夫だよ」
「アッチもときどき怖い顔になるんだよ~」
「でも、フォーゼ(仮面ライダー)がやっつけてくれるから大丈夫だよ」
「フォーゼの武器のビリビリでぼくが死ぬよ~」
「逃げれば大丈夫だよ」
「逃げてお外にいる間に、お家が壊れちゃうよ~」
「じゃあ、お家が壊れないように、お父さんにオバケを怒ってもらおうよ」
「そんなことしたら お父さんが死ぬよ~」
「寝てればお化けはつれていかないよ」
「ぼくは大丈夫でもコウ(娘)ちゃんが寝ないから死ぬよ~」

どうなっても息子は家族もろともオバケに滅ぼされるシナリオしか書けないようで、怖がりを脅かしてはいけないのだと肝に命じた。

(最後は空気を読まない下の娘がじゃれついてきて、場がぐだぐだになり、そのまま寝てくれたのでよかった)

今朝になって「お母さんも知らなかったんだけど、いろいろ本とか読んで調べたらオバケって、いないんだって!」といったら、息子すごい喜んでました。

  

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2011/10/18

面倒と尊厳の間で

おもいだしたこと

このあいだの週末、家で家族でだらだらしていたとき。息子が急に「うんち!」とあわててトイレにかけだした。

かけだしたが間に合わない! とちょっとしたパニックになったようで、べそをかいてジタバタし始めている。

これはまずいぞと思ったところ、私より早く息子にかけよった夫が、なんとその場でまず息子のズボンとパンツを脱がせたのだった。

えっ、どうすんの?

と、思った次の瞬間、夫は自分の手で息子の肛門を押さえ、その状態で息子を担いでトイレに駆け込んだのだった。

間一髪間に合ったようで事なきを得たが、いきなり息子のパンツとズボンを脱がすという選択肢は私にはなく、あまりにも意外だった。

夫としてもとっさの判断だったようで「ズボンとパンツを汚したら面倒だと思ったから」ということだった。確かに面倒だが、その代償は自分の手なのだ。

ときに育児が「面倒」と「尊厳」の間で揺れ動くものなのだということを再確認した。

息子が寝るときに着ているパジャマが、洗濯の流れから下が真っ黒なスエットで上が真っ赤なTシャツという組み合わせになっていた(※)。

ちょっとない色合いでシルエットは太極拳っぽく、部屋着としてなかなか斬新なことになっていた。

※黒のスエットは本来別のパジャマの組み合わせだったもので、赤いTシャツは母と幼なじみの家のおじさんの合同還暦パーティーでみんなでおそろいで着たものなのでした。

※そういえばあのときは16人でみんなで赤いTシャツを着たんだなあ。

部屋着といえば私はトラの絵のTシャツをよく着ていて、これを見ると娘は低く唸る。「ゥゥ~、ガゥ~」という具合。威嚇しているらしい。

のどの奥をぎゅっとつぶすように低く搾り出す声はなかなか本格的だ。

絵本のライオンのイラストなどを見ても同様に威嚇する。娘はとら年でしし座なので、猛獣としてのスジはいい方なんじゃないかと思っています。

仕事で使うということが判明したので、びびりまくりながらいよいよiOS5を入れた。

昨日バックアップを取る段階でいきなりアプリ数種類が消えるという目にあっていたおかげで、おおきなトラブルもなく入れられた。軽く痛い目を見ておくのは、もしかしたらすごく大事なことなのかもしれないぞ。

夕方

帰り際カルディに寄った。ハロウィンのお菓子が今年は例年に比べて一段とかわいい気がするのだけど、毎年こうだったかな。でも買ったのはEUROHOPだけです。

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2011/10/17

妖怪髪喰い

ラジオ体操をしている。

今年の5月くらいからはじめて、ちょっと毎日続けちゃったらやめるのが恐ろしくなってしまった。引っ込みがつかなくなった。土日祝日を除いて毎日やっててさすがに最近まじめすぎやしないかと不安だ。

このまま毎日つづけるのだろうか。一生なのかな。

4歳の息子がたまに外まで出て出勤する私を見送ってくれる。

そういうときは、

家から出て最初の角を曲がったところで私が角から上半身をゆすっ

て出たり入ったりして、3回くらいやって、最後に「じゃあね、

これが最後だからねー」といって去る。

去ったあと、

角からサッと出てくる私を期待して息子が見守っているのではない

かと思ってしょんぼりしながらトコトコ駅に向かうことが多いので

、今日は「これで終わりだから、お家入りなー」

といったら何も言わずに家にサッと入っていってしまって余計しょ

んぼりした。トコトコ駅に向かった。

iOS5へのアップデートが、

いろいろと噂を聞くにつけ怖くてできなかったが、

いよいよやらねばならない、

その前にしっかり同期をとっておこう。

年には念を入れて自宅だけでなく会社のパソコンにも同期を取るべ

く作業はじめたら、

まだアップデートには着手していないにもかかわらず何種類かアプリがなくなった。

不器用!

下の娘は、私の髪をさわって、なめて、しまいに食いちぎりながら寝る。たぶん妖怪なんだと思う。

食いちぎったあげく、もう眠たくなってうとうとしながら「髪が口に入るとと1本でもすごい気になってきもちわるいよね~」みたいな感じで口をもごもご動かしたり舌をぺろぺろ出している。

自分で食べたくせに!

小さな子どもは自由だ、とはよくいうが、髪をむさぼり食って、食った髪を気持ち悪がるって、せっかくの自由の無駄づかいにもほどがあるだろうよ。

妖怪は、結局食べた髪の毛が吐き出せず口をもごもごしたまま寝る。

デイリーポータルZで記事を書きました。

セレブが来た!
http://portal.nifty.com/kiji/111014148921_1.htm

セレブスナップを撮る記事です。撮影は同僚の安藤昌教さんで、主に安藤さんがすごいという記事ですわ。

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